「和太鼓」への愛が紡いだ絆と縁が人生を変えた! 内気なオーストラリア人女子高生が挑む新たな夢:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

被災者を笑顔に。チリ出身の男性が都内で唯一のチリ料理店を始めたきっかけ

続いて紹介するのは、母国を離れ、ニッポンが好きすぎるあまりニッポンでお店を開いたものの、新型コロナウイルスの蔓延により苦しい状況におかれている外国人の方たちを応援する新企画、「ニッポンお店開いちゃった人応援団」!

訪れたのは、東京都中野区にある「鍋横大通商店街」。さっそく、国旗を掲げているお店を発見!

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店内に入って声をかけてみますが、無反応...。誰もいません。再びお店の外に出ると、自転車に乗って近づいてくる外国人の姿が。どうやらこの人がこちらのお店のオーナー、エドゥアルドさんのようです。

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「店開けっ放しだったけど大丈夫ですか?」と、尋ねるスタッフに、「ニッポンに泥棒いない!」と、笑うエドさん。それにしても気になるのは、この薄着! 昔どんな天気でもサッカーをしていたから慣れているのだそうで、1年のほとんどを半袖短パンで過ごしているそう。

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そんなエドさんのお店、「カーサ・デ・エドゥアルド」は都内で唯一のチリ料理店。外で豪快にお肉を焼き、そのままお客さんに振る舞う人気の店だったのですが、やはりコロナ禍の影響が大きいようで、以前はたくさん訪れていたお客さんが現在は1日わずか2、3組のみ。昨年の売り上げは前年のおよそ8割減で、回復にはほど遠いといいます。

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この日は親友の城戸さんと中村さんがエドさんを心配して訪ねてきてくれました。城戸さんはエドさんが来日してすぐに知り合った37年来の友人。中村さんは元寿司職人で、通称・親方。サッカーの大会で知り合った気の合う友人だそうです。

城戸さんと中村さんいわく、「エドは自分のためじゃなくて人のためばっかり。放っておけないわけですよ。これが自分のことばっかりやってる人間だったら、ふざけんなってことになるんだけど。ニッポンの生活は外国人からしたらそんなに楽ではないと思うんですよ。それなのに人のためになることをしてるってことがありがとうなって気持ちもあるわけですよ。本人には今日初めて言った」とのこと。

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エドさんがこのお店を始めるきっかけとなったのは2011年に起きた東日本大震災。当時、通訳の仕事をしていたエドさんはチリのテレビクルーと被災地へ。

「もう大変だった。遺体もあったし、すべて壊れている。私の頭の中は"何とかしないといけない"」と、当時を回想するエドさん。被災地の状況を目の当たりにし、"何か役に立ちたい"と、ボランティア活動をすることに。その回数は1年間で7回にも上りました。

時には巨大なパエリアを作り、時には大量の肉を焼いて振る舞いました。少しでも元気になってもらいたい、と自ら踊って励ますことも。

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「みんなすごく喜んで。結構言われたことが、『(被災して)3週間笑ったことがない人が初めて笑った』」このボランティアで料理を食べてくれたニッポンの人たちの笑顔が忘れられず、2012年に赤坂で飲食店をオープン。そして2013年に現在の「鍋横大通商店街」に移転し、母国・チリの味をニッポンで提供し続けています。

そんなエドさん自慢の料理は揚げたエンパナーダ。

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エンパナーダとは南米各国で人気の「具入りのパン」のことで、スペイン語で「包む」という意味合いなのだそう。ひき肉とタマネギに、オレガノと塩胡椒、ワインとニンニクを混ぜた具を、小麦粉とラードでできた生地に乗せ、ゆで卵とオリーブを入れて包み込み、形を整え、油で揚げたら完成。

エドさんがニッポンに来たのは37年前。来日のきっかけは、ニッポンでの「電気通信の専門職」の求人を見つけたこと。国内でも屈指の名門「チリ大学」を卒業し、英語が堪能で電気工学の知識もあったことから、電気通信関係の翻訳の仕事に採用が決まりニッポンへ。

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ところが、英語とスペイン語が話せるからといって、すぐに翻訳もできるわけではありませんでした。仕事はわずか3カ月でクビに...。それでもニッポンでの生活が大好きになっていたエドさんは母国には戻らず、残って働くことを決意しました。

青年海外協力隊のスペイン語講師や、通訳の仕事をしながら、何とかニッポンで生活を続けたそう。次第に人脈も広がっていき、世界的サッカー選手の通訳をするまでになりました。

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パラグアイの国民的英雄、チラベルト選手も来日した際は必ずエドさんに通訳を頼んでいたとのこと。

エドさんに日本の好きなところを聞いてみると、「いい人が多い。最初シャイだけど本当の友達になったらすごく人間性もあるし面白い。チリと日本人の性格が結構似てる。だから私にとって住みやすい」とのこと。お店を通じて、チリとニッポンの架け橋になりたいのだそう。

新中野に来て8年。「鍋横商店街は周りのお店の人も優しくて、お互いをサポートできるところが好きで、ここを見つけられてとてもラッキーだと思う」と話します。

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実際に取材をしてみると、目と鼻の先にある居酒屋の店長も、お隣の中華料理屋さんも、行きつけのカラオケスナックのママもみんなそれぞれに忘れられないエドさんとのエピソードがあり、人懐っこいエドさんのことを大好きなようでした。

そんな愛されキャラのエドさんのご自宅はとてもきれいに片付いていて、あまり物がありません。「家で何もしない。寝るだけ」と話すエドさんにご家族のことを聞いてみると、エドさんはバツ2の独身で、最初の妻と娘たち、そしてお孫さんは全員チリに住んでいるのだそう。「今、私の孫が5歳。可愛くてしょうがない」と話す孫のマルティーナちゃんとはたまにインターネットで会話はするものの、コロナ禍のため、1年以上会えていないそう。

そこで、遠く離れたチリのお孫さんとテレビ電話をすることに。チリとニッポン、遠く離れた家族とテレビ電話で久々の再会です。

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「お、お、お、オラ!こんにちはマルティーナ 元気かい?」と尋ねると、マルティーナちゃんは笑顔で「元気!」と答えてくれました。娘のクラウディアさんはエドさんの体調やお店の状況を気遣います。

ここで応援サプライズ! チリの娘さんとお孫さんからプレゼントが! スタッフが小包をエドさんに手渡すと中にはトウモロコシのパイを作るための器とマルティーナちゃんが描いた大好きなおじいちゃんの似顔絵が入っていました。

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お店で働くエドさんの絵には「おじいちゃん愛してる」と書いてありました。

「マルティーナのことも愛してるよ! 本当にありがとう! これがエンパナーダだよね? 大きいね。マルティーナありがとう、大好きだよ! これはとても宝物です。これからすごく大事にします。嬉しいです!」と、とても喜んでくれました。

お客さんの笑顔を見るため、今は苦しくてもお店を続けたい。最後に「これからも日本とチリ、いい関係になるために私頑張ります、必ず!」と意気込みを語ってくれました。

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みんなに愛されるエドさん、これからも頑張ってください!

4月5日(月)夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」は、「ニッポンにご招待したら人生が変わっちゃった!感謝のビデオレターが届いちゃいましたSP」&新企画「ニッポンお店開いちゃった人応援団!」をお届けします。

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▼ニッポンの"大衆食堂"を愛してやまないメキシコ人カップル

7年前にメキシコで「たま食堂」をオープンし、大将と女将として二人三脚で食堂を営んでいる。「伝統的な大衆食堂に行って学びたい」という2人を、約2年前、ニッポンにご招待。そんな2人からお世話になった皆さんに感謝のビデオレターが届く。そこには驚きの成長と嬉しい報告が!

▼新企画「ニッポンお店開いちゃった人応援団!」

ニッポンが好きするあまりニッポンに移り住み、自らお店を開いて暮らしている外国人の方たちを応援! 和風居酒屋を経営するイラン人男性。お店の料理はなんと全品400円!? 苦しい状況でもニッポンでお店を続ける彼に番組から応援サプライズ!

どうぞお楽しみに!

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