<感動>63年ぶりにニッポンへ里帰り...家族と涙の再会劇! そこに思わぬ奇跡が...!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

63年ぶりの里帰り…家族と感動の再会!

最後に紹介するのは、ブラジル北部の街・トメアスから、63年ぶりにニッポンへの里帰りを果たした日系一世の草野恒雄さん。

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恒雄さんが暮らすアマゾンの奥地・トメアスを初めて訪れたのは3年前。アマゾン地方の日本人移民の最初の入植地となった街で、現在も約1000人の日本人や日系人が暮らしています。

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恒雄さんはトメアス市街から約50キロのジャングルの奥に1人で暮らしていました。約50年前に手作りで建てたニッポン風の家は、「アマゾンでの暮らしでも故郷のニッポンを感じていたい…」と、材料から全て自分たちで揃えたそう。

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1954年、6歳の時に家族6人で福島県を出発し、1ヵ月の航海を経てトメアスへ。当時、恒雄さん一家を待ち受けていたのは「緑の地獄」と呼ばれる深いジャングル。生きるために、猛獣が潜む森を斧一つで必死に開拓しました。

恒雄さんは4人兄弟の長男。家計を助けるため、小学校卒業とともに父親のコショウ農園を手伝い、現在は亡くなった父から受け継いだ土地を1人で守っています。

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4人のお子さんには、故郷であるニッポンを大事にしてほしいと日本語を習わせたそう。部屋には富士山の絵を飾り、19,000キロ離れたブラジルから毎日ニッポンを思い浮かべています。「書類上はブラジル人でも、日本人としての誇りは今でも持っています。まだ気持ちは日本人のつもりです」と話す恒雄さん。強い思いがありながら、63年間1度も故郷に帰らなかったのには、ある理由がありました。

案内してくれたのは、広大な農園の一部。近年アマゾンでは、環境破壊などでニッポンの国土の2倍もの森林が失われています。そこで恒雄さんの農園では、農業と植林を組み合わせ、人の手で森を蘇らせながら作物を育てる“アグロフォレストリー”を導入。広大な農園を従業員のジョアンさんと恒雄さんの2人で管理しています。しかし、維持するのに精一杯で、ニッポンはおろか旅行すら行けない日々。さらに、大変な手間がかかるアグロフォレストリーですが、年金とフルーツ販売で得られる月収は約7万円……。ニッポンへ行く経済的な余裕はありません。

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4人のお子さんのうち、長男・照雄さんと次女・リアさんは、高校卒業と同時に出稼ぎでニッポンへ。1度里帰りをした照雄さんとは8年、リアさんとは19年会っていません。

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そんな恒雄さんにニッポンご招待を伝えると、「まだちょっと半信半疑です。もう半分諦めていたんです」と戸惑いながらも喜んでいる様子。妹のきよ子さんにも伝えると、「今まで生きていた甲斐があったよね」と大喜び。

いよいよ恒雄さん、63年ぶりの故郷・ニッポンに到着! 里帰りに付き添うきよ子さんも、33年ぶりの来日です。船で1ヵ月かけてブラジルへ渡った当時と比べると、27時間の飛行機移動もあっという間に感じたそう。東京駅や渋谷のスクランブル交差点、東京タワーを見て回ります。

今回恒雄さんには、どうしても果たしたいことがありました。それは、19年会っていない次女・リアさん、8年会っていない長男・照雄さんに会うこと。そして、経済的な理由から大学進学を諦め、ニッポンへ出稼ぎに渡った照雄さんに、良い父親ではなかったことを謝りたいというのです。

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そんな恒雄さんに、サプライズ! 長男・照雄さんが会いに来てくれました! 「父親として何もしてあげられなかったことを許してほしい」と話す恒雄さんに、照雄さんは、「高校まで出させてもらったのに、そんなことを言う必要はないよ」と話します。長年の胸のつかえが取れ、「心が軽くなったよ」と安堵する恒雄さん。

照雄さんの提案で、今度はサプライズする側として、次女・リアさんに会いに行くことに。向かったのは、愛知県知多半島にある半田市。

幼い頃からお父さんっ子だったというリアさん。高校卒業後は恒雄さんに負担をかけまいと、大学に行く学費を稼ぐためニッポンへ。手紙にはいつも、「お父さんと暮らしたい」と綴られていました。

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照雄さんからは、「たまたま近くに来たので顔を出す」とだけ伝えています。そしていよいよ、最愛の娘と19年ぶりに再会! 「嘘でしょ!?」と驚き、泣き出すリアさんを抱きしめる恒雄さん。再会を喜びます。リアさんの子どもたちも、「人生で初めておじいちゃんに会うので嬉しい!」と喜んでくれました。

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そこに、リアさんの夫・ジウマールさんが帰宅。恒雄さんとは初対面で2人とも緊張気味でしたが、実直そうなジウマールさんに安心し、しっかりと握手を交わします。

家族が揃ったところで、リアさんが生まれて初めてお父さんへ手料理を振る舞います。牛肉と、甘酸っぱい香りのパプリカパウダー、ジャガイモなどを入れて煮込めば、ブラジル風肉じゃが「カルニ・ジ・パネーラ」の完成。「レストランのより美味しいよ」と大満足の恒雄さん。19年ぶりの温かい家族団欒は夜中まで続きました。

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翌日、「1度でいいからフグを食べてみたい。毒を持つ魚を食べられるようにするなんて、ニッポンの技術は本当にすごい」と話す恒雄さんの望みを叶えるために家族で向かったのは、知多半島の沖に浮かぶ日間賀島。愛知県は「とらふぐ」が豊富に獲れる国内屈指の漁場で、日間賀島は100年以上前から漁が行われているフグの島なのです。

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フグ料理で有名な民宿「小浜荘」で念願のフグをいただきます。日間賀島のテッサ盛り付けコンテストで3連覇した板前さんが厚さ3ミリに揃えたフグの刺身で表現したのは、めでたい席を華やかに飾る鶴と、直径約40センチの巨大な牡丹。さらに、フグの唐揚げや、新鮮な魚をふんだんに入れて赤味噌で煮込んだおふくろの味「ごんど汁」など、海の幸が賑やかに並びます。

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まずは、人生初めてのフグから。「美味しい!」と初めての味を噛みしめます。「料理の技術の高さに驚かされました。日本人で良かったと思います」。

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今回、リアさんと初めて旅行した恒雄さん。リアさんは「ずっと忘れられない。心に残ると思います」と話し、ジウマールさんも「お義父さんと旅行ができて本当に良かったです。何よりリアが幸せそうにしていたので僕もとても幸せです」と語り、絆を深めることができた様子。家族みんなで川の字に寝るという初めての経験も!

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さらに恒雄さんには、どうしても訪れておきたかった場所がありました。この日やって来たのは、6歳まで暮らしていた生まれ故郷・福島県いわき市三和町。

恒雄さんの母・トラ子さんは、トメアスに渡って1年後、マラリアにかかり30歳の若さで他界。1枚持っている当時の写真に写っているのは父親と弟のみ。記憶の中にかすかに残る母の姿を胸に今日まで暮らしてきました。もう一度、母の姿をこの目で見てみたい…母の写真を求めて福島に住む親戚のもとへやって来たのです。

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いとこにあたる草野英世さん。実家を探せば写真があるかもしれないということですが、英世さんの実家は14年間人の出入りがなく、今は廃屋状態とのこと。

家中をくまなく捜索すること2時間、祖母が大切にしていたという衣装ダンスの中から、たくさんの白黒写真が! 100枚以上ある白黒写真から、母の姿を探します。

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すると、63年前、ブラジルに旅立つ船に乗る家族を港から写した写真が! 6歳の恒雄さんの横にいるのがトラ子さんです。63年ぶりに見た母の姿に、恒雄さんは思いを馳せます。

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夢のように過ぎた1週間のニッポン滞在。家族と過ごす時間もあとわずか。別れを惜しむ恒雄さんのために、お孫さんたちは寄せ書きを、リアさんは手紙を手渡します。

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「私も子どもができて母親になれました。だから、父さんが私たちにくれた愛がいかに深かったか…今はわかるよ。お父さん、感謝しています。とても愛しています。リアより」

あれから3年。恒雄さんからのビデオレターを、照雄さん、リアさん一家へ届けます。帰国後、メールのやりとりはあったものの、アマゾン奥地は通信環境が悪く、顔を見るのは3年ぶり。

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恒雄さんがニッポンの家族に見せたかったのは、照雄さんとリアさんが高校卒業まで暮らしていた実家の様子。「ここに飾ってあるんですよ、僕の宝物」と見せてくれたのは、お孫さんたちの寄せ書き。見る度に絆を感じているそう。もう一つ大切にしている宝物は、リアさんの手紙。帰国後、改めて涙を流して読み、肌身離さず持っているそう。

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恒雄さんが管理する農園にいくと、照雄さんとリアさんの好物・ジャックフルーツが! ブラジルや南アジアなど南国で栽培されるマンゴーのような味わいのフルーツで、ニッポンでは1個9000円もする高級品です。

ニッポンにいる家族にいつか食べさせたいと、子どもたちが好きだったフルーツを栽培し始めたそう。さらに、お孫さんが遊びに来た時に寝られるよう、ハンモックを吊るす場所も作りました。

さらに、嬉しい出来事も。番組のDVDを、恒雄さんが所属している日系移民の協会に寄贈したところ、たくさんの方が観てくれたそう。ニッポンにいる家族との絆を思い出した…と、多くの反響がありました。

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妹のきよ子さんにも、来日がきっかけで変化が。ニッポンの清潔さに感動し、町内会に自ら掛け合い、街に一つもなかったゴミ箱を設置したのです。「日本人として誇りに思い、これからも頑張って道を綺麗にしていくつもりよ」と話してくれました。

ここで、インターネットの接続が安定している日系移民の協会に協力していただき、ブラジルとニッポンをリモートで繋ぎます。

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「実は、ニッポンにいる家族にどうしても直接見せたいものがあるんです。この番組のおかげで、奇跡が起きたんだよ」と恒雄さん。番組を観たトメアスの日系移民の方から、「トラ子さんが写っている別の写真がある」と連絡があり、母の写っているもう1枚の写真を見つけたとのこと。それは、63年前、福島で撮影されたトメアスに向かう人たちの集合写真。そこには、最愛の母・トラ子さんと6歳の恒雄さんの姿がありました。「おばあちゃんの写真を見れば、家族の繋がりをいつも確認できるね」と照雄さん。

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リアさんからも報告が。去年夫婦で中古車販売の会社を設立し、経営者になったそう。

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会社を起こしたのには、ある思いがありました。「いつか恒雄さんと一緒にニッポンで暮らしたい」。そのために、リアさんと必死に働いて資金を貯めているそう。恒雄さんは「私のことを思ってくれて感謝しますよ」と、感激のあまり涙が……。

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最後は「ニッポンに来てね!」「元気でね、お父さん!」と何度も手を振ります。またいつか会えることを信じて……。

恒雄さんをニッポンにご招待したら、最愛の母の写真がもう1枚見つかり、ニッポンの家族との絆がさらに深まりました。

そして1月18日(月)夜6時25分放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団スペシャル」は…。

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新企画「ニッポン住んじゃった人応援団!」海外に暮らしながらニッポンのあるものが好きすぎて来日し、そのまま住むことを決意した外国人の方たちを応援!
▼「ウチナーグチを愛する」オランダ人男性。「ウチナーグチ」は那覇をはじめ沖縄で古くから使われてきた言葉で、日本語の方言の1つ。ウチナーグチを生んだ沖縄の風土や文化・人々の暮らしに魅了され、29歳の時に移住を決意した。

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どうぞお楽しみに!

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