酒造りが盛んな能登で230年間愛され続ける老舗の酒蔵へ...:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

聡明な俳句少女がさらに美しく大変身! 将来の夢を歩み始めていた!

続いて紹介するのは、ホンジュラスのグアイマカという田舎町に住むヒメナさん。ヒメナさんに初めて会ったのは、彼女がまだ高校生だった2年1ヵ月前。

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「ちょっと字が下手で恥ずかしいですが…」と見せてくれたのがこちら。

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世界で最も短い文学とも称される「俳句」。世界で「HAIKU」として親しまれ、70か国200万人以上の愛好者がいるといわれています。カナダやアメリカの小学校では50年ほど前から授業にも取り入れられ、自然の尊さや表現力を学ぶための教材にもなっています。

俳句を愛してやまないヒメナさん。中でも好きなのが松尾芭蕉で、芭蕉研究ノートまで作っていました。俳句の生みの親である松尾芭蕉。鎌倉時代に確立した「連歌」では、ひとりが五七五を詠み、別の人が七七を詠む、ということを繰り返し、言葉を繋ぎました。芭蕉はそこから初めの五・七・五だけを切り出し、「俳句」という新たな形を築き上げたのです。

ニッポンのアニメで芭蕉の俳句を見てその虜になったヒメナさんは、「俳句に込められた意味をきちんと知りたい」と、片道2時間かけて日本語教室に通っています。「いつか漢字を使って自分でも俳句を詠みたい。もしニッポンに行けたら、実際に“おくのほそ道”を歩き、芭蕉が何を見て何を感じて俳句を詠んだのか…自分の目で見てみたいです」と夢も打ち明けてくれました。

そんなヒメナさんをニッポンにご招待! 付き添いでお母さんのアンドレアさんも来てくれました。空港に着いた時から大興奮のヒメナさん。お母さんも「まだ夢の中みたいね」と嬉しそう。

芭蕉が弟子の河合曾良(そら)と共に東北・北陸などを巡った「おくのほそ道」。その行程は、2400キロに及び、150日間にものぼったそう。※諸説あります。

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そこで紡がれた50の俳句と紀行文は日本独自の文学として世界で高く評価され、今では英語やドイツ語、スペイン語など、世界30の言語に翻訳されています。ヒメナさんは1週間の滞在で、数々の名句を生んだ「おくのほそ道」の各地を巡ることに。

まず向かったのは「おくのほそ道」出発の地、東京・千住。江戸最大級の宿場町として栄えたこの街には、426年前、隅田川最初の橋である「千住大橋」がかけられ、芭蕉はこれを渡り、東北へと旅立ちました。すると、芭蕉の像を見たヒメナさん、「矢立! ここは芭蕉がおくのほそ道で初めて俳句を書いた場所です!」と大興奮。

矢立とは携帯用の筆と墨壺のこと。芭蕉はここで、「おくのほそ道」初めての句、「行春(ゆくはる)や 鳥啼魚(とりなきうお)の 目は泪(なみだ)」を詠んだのです。この句には 旅の第一歩を踏み出したものの、心細さでなかなか思うように足が進まず、涙を流したことが表現されています。「芭蕉は住んでいた家も売って戻らない覚悟でここから旅立ったんです」と話すヒメナさん。

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芭蕉は死をも覚悟して旅立ったといわれています。かつて東北地方は大和朝廷の支配が及ばない「道の奥=未知の国」とも言われ、芭蕉も訪れたことがなかった地域。人生50年と言われた時代、そんな細く困難な道に46歳で挑んだのです。

ヒメナさんが続いてやって来たのは宮城県松島。「ここは芭蕉がおくのほそ道で一番訪れたかった場所です。来ることができて本当に嬉しいです」と感激。日本三景の一つに数えられる松島は260余りの島々が独特の景観を織りなしています。古くは平安時代から歌人に詠まれた名勝地で、芭蕉にとっては「おくのほそ道」一番の目的地でもありました。

船にのって島巡りをすると、地元ガイドの京野さんが案内してくださることに。松島を代表する双子島を始め、260余りの島々すべてに名前が付けられているそう。「ここが“美人の顔(かんばせ)を装う”と芭蕉も書いてある通り小町島です。日本語で小町というのは美人のこと」と京野さん。

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松島は、芭蕉が「おくのほそ道」の中で唯一俳句に出来なかった場所。その美しさを「造化(ぞうか)の天工(てんこう)、いずれの人か筆をふるい 詞(ことば)を尽くさん」(この神の為せる技を、誰が詩で表すことができようか)とし、俳句を詠むことを諦めたといいます。「この景色を俳句にできなかった芭蕉の気持ちが少し分かるような気がします」と芭蕉へ思いを馳せるヒメナさん。

続いてやってきたのは山形県最上町。芭蕉が訪れた家屋へ向かうと、封人の家の館長・中鉢藤一郎さんが出迎えてくださいました。こちらは、江戸時代、国境を守る役人が住んでいた「封人の家」と呼ばれる建物で、芭蕉は山越えの途中で日が暮れてしまい、急遽この家でお世話になったそう。全国で唯一、当時の様式のまま残っている日本家屋です。

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ここで詠んだ句が、「蚤(のみ)しらみ 馬の尿(ばり)する 枕もと」

中鉢さんは「寝たらノミはいるし虱(しらみ)はいるし、馬のおしっこのすごい音が枕元に聞こえてきたという…そういう体験談を俳句にしたもの。でも、ひどい目にあったという句ではなく、馬に対する思いに感動したんだそうです」と説明してくださいました。家の中に馬小屋をもうけ、家族のように大切していた最上町の人々。芭蕉はその営みに感銘を受け、この句を詠んだと言われています。芭蕉が詠む句はその土地の魅力を称えるものが多く、それゆえその句は土地の人たちに語り継がれ、後世まで愛されてきたのです。

「風景が浮かんできて、面白いです」とヒメナさん。一句浮かんだようで、中鉢さんに教えていただきながら俳句を詠むことに。

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中鉢さんは「上手!」と言って拍手をしてくださいました。

続いて向かった芭蕉ゆかりの地は、山形県山形市。約1200年前に建立されて以来、「山寺」の名で親しまれてきたこの寺院は、正式名「宝珠山立石寺」。東京ドーム23個分の敷地内にお堂や仏塔が立ち並び、海外からも観光客が訪れます。芭蕉はこの山寺で、最も有名な句を詠んだといわれています。ヒメナさんもいざ、名句を生んだ絶景へ! 今回山寺を案内してくださるのは芭蕉研究家として多数の著書を持つ梅津保一さん。

山門をくぐり、階段を上ること30分…開山堂に着きました。絶壁の岩の上に建つ開山堂。山寺を建立した慈覚大師(じかくだいし) 円仁(えんにん)を祀っています。

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そしていよいよ、絶景ポイントへ! 「すごい綺麗! この風景を見ているととても穏やかな気持になります」とヒメナさん。感動の景色がこちら!

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そしてこの寺で生まれた句が…

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」

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「ホンジュラスでこの句を見た時、蝉が鳴いてるのに、なぜ静かなのか…よくわかりませんでした。でも今は少し分かるような気がします」。ヒメナさんも芭蕉に倣って一句詠むことに。

「山寺の 落ち葉踏みしめ 道終わり」

「山寺はとても神聖な場所で心が洗われた気持ちです。ここに来られて良かったです」と感慨深げに話します。

最後にヒメナさんが向かったのは、芭蕉が最も愛した場所・栃木県黒羽。14日間と芭蕉が最も多く滞在した場所です。

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出迎えてくださったのは、「おくのほそ道」のボランティアガイドを務める直箟(すぐの)浩子さん。

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まずは、栃木で700年以上の歴史を刻む東山雲巌寺へ。330年前、芭蕉も訪れたという名刹。ヒメナさんは美しい紅葉を見て、また一句浮かんだようです。

すると浩子さん、「ヒメナだからお姫さまの“姫”、那須へ来たから那須の“な”で“姫那”って漢字にしたらいいなって…」と、俳句用の名前を考えてくださいました。早速色紙に浮かんだ一句をしたため、「姫那」と添えます。

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「もみじの中でさえずる雀を想像しました。初めて見る紅葉はとてもキレイで、秋は鳥たちにもきっと楽しい季節だと思ったんです」と背景を説明。「いいじゃないですか、季語も入ってるし」と浩子さんも絶賛します。

その後も浩子さんが黒羽にあるたくさんの芭蕉の句碑を案内。さらに「ふるさとを知る会」の斎藤悦子さんと学芸員の新井敦史さんを紹介してくださいました。日頃から俳句を詠んでいるお2人にヒメナさんの先程の俳句を見ていただくと…「素晴らしい!」とその出来にビックリ。

その夜は、「ふるさとを知る会」の皆さんが、芭蕉も食したという黒羽の伝統的な料理でもてなしてくださいました。

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「きっと芭蕉もこんな風に温かいおもてなしを受けたからこそ、素晴らしい俳句を詠めたんだと思います」とヒメナさん。江戸の人気俳諧師だった芭蕉には全国300人以上の弟子がいたといわれており、行く先々で弟子から厚いもてなしを受けていたそう。

「ふるさとを知る会」の皆さんと翻訳機を使って会話を楽しみます。ヒメナさんの将来の夢は医者になることで、「医者になるのは6~8年後」と話すと、皆さんは「いやぁ~そんなに長くは生きていられないなぁ」などと冗談をいい合い、その夜は大変盛り上がりました。

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お世話になった皆さんと別れの時。「ふるさとを知る会」の皆さんから、手染めのスカーフや手縫いの作務衣まで、手作りのお土産の数々が贈られました。

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最後はヒメナさんから皆さんに俳句のプレゼント。

「句碑めぐり 合うおばあちゃん 花のよう」

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「昨日はいろんな句碑を見せていただいて、こんなに明るくて花のような皆さんに巡り合って…。芭蕉が黒羽に長く居た気持ちがよく分かりました」と感謝するヒメナさん。母・アンドレアさんからも感謝の言葉と別れを惜しむ涙のハグがありました。

あれから2年。ヒメナさんからのビデオレターを「ふるさとを知る会」の皆さんのもとへ届けます。

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「ふるさとを知る会」の皆さん、「すごく美人さんになっちゃって!」「モデルさんみたい」とヒメナさんの成長を喜びます。「皆さんからいただいたプレゼントはすべて大切な宝物です。浩子さんがプレゼントしてくださった手染めのスカーフはとてもお気に入りです。皆さんがプレゼントしてくれた手作りの箸は、あまりにステキなのでまだ使えていません。いつか綺麗に使えるように…ニッポンで買った箸で毎日練習しています」と話します。

またヒメナさん、帰国後に番組を見た現地の日本大使館の職員の方からお声がかかり、約1500人が集まる日本文化を紹介するイベントで俳句を披露したそう。

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さらに「去年希望していた大学に入ることができました」と嬉しい報告。ヒメナさんが通うのは、ホンジュラスで最も難しい国立大学。大学の近くに下宿していましたが、今は新型コロナウイルスの影響で実家に戻り、リモート授業を受けています。

「希望していた大学に入れましたが、金銭的な理由で医学部ではなく生物学部です。だけど生物学部と医学部の授業は全く関係ないものではないと思っています。少しでも多くの人を助ける医者になる夢は諦めていません。私は日本語が話せる医者を目指しています。ホンジュラスには日本語が話せる医者がいないし、ニッポンの最先端医学を学んで取り入れたいからです」と、しっかりとした将来のビジョンを話してくれました。

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ヒメナさんのビデオレターを見て、会いたくなってしまった「ふるさとを知る会」の皆さんに、ここでサプライズプレゼント! 「ハ〜イ お元気ですか?」と突然画面に現れたヒメナさんに、一同ポカン。

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「お元気ですか?」と尋ねられても全員無言。「今とても幸せで緊張してます。こちらは夜中の2時です」と聞き、悦子さんは「ヒメナさんが今ビデオに出てるんですか? 直接? すごい!」とやっと理解できた様子。

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ここでヒメナさんから皆さんに俳句のプレゼント。

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「上手〜!」と皆さんからまたもや拍手が。悦子さん、「ずいぶん勉強したみたいですね。またニッポンに来た時には“句会”っていうのがありますから。ぜひニッポンに来てください」と伝えます。「日本語でなんと言ったらいいか分からないけど、今とても幸せです」と話すヒメナさんに悦子さんが「ヒメナ、また元気で会おう!」というと、感極まったヒメナさん、涙が止まらなくなってしまいました。

すると悦子さん、「炎天下 ヒメナと出会う ビデオかな」。その場で一句詠みあげます。「ありがとう〜。私のおばあちゃん、愛してる! バイバイ〜」とヒメナさん。再会の嬉しさに涙があふれる感動のビデオ通話となりました。

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ヒメナさんをニッポンにご招待したらさらに俳句が上達し、日本とホンジュラスを繋ぐ医者の夢を歩み始めていました!

そして、今夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」は…。

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▼美味しいとんかつの作り方を学びたいスペイン人ご夫婦
約3年前、ニッポンにご招待。その際、ミシュランガイド東京 ビブグルマンに6年連続で選出されているとんかつの名店「ポンチ軒」へ。またかつ丼の名店「とんかつ鈴新」にも出向き、秘伝のレシピを教わった。そんなご夫婦からビデオレターが届く。「とんかつ愛」が地元に絶大なる影響を与えていた!?

▼ニッポンの古民家再生の現場を見てみたいアメリカ人女子高生
約4年前、ニッポンにご招待。その際、徳島の祖谷渓谷にある築300年以上の古民家を再生した宿泊施設を見学。国の重要文化財に指定されている江戸時代初期に建てられた築350年の古民家にお世話になった。そんな彼女に帰国後、すごい変化が!

どうぞお楽しみに!

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