【ネタバレ】「行方不明展」に行ってみた

公開: 更新: テレ東プラス

 
ネーミングからして謎と期待だらけの「行方不明展」。
気鋭のホラー作家・梨と株式会社闇がタッグを組み、プロデュースを大森時生(テレビ東京)が担当。さまざまな切り口で「行方不明」に触れるイベントだ。

【動画】「行方不明展」特別番組

深夜に大森プロデューサーが担当した「イシナガキクエを探しています」 を恐る恐る視聴し、原稿を書いたのも記憶に新しい記者は、早速メディア向け内覧会へ。

展示は「何が行方不明になったか」という切り口のもと、

〈身元不明「ひと」の行方不明〉
〈所在不明「場所」の行方不明〉
〈出所不明「もの」の行方不明〉
〈真偽不明「記憶」の行方不明〉

4つのテーマに分類されている。

謎多き空間でありったけの行方不明を体感した記者。ここでは、強く印象に残った展示を、いくつか紹介していく。

※この展示はフィクションです。

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会場は日本橋三越本店の目の前にあるビル。「東京のど真ん中で?」とちょっぴり斜に構えて場内に入ると、目の前の世界は一変。両側の壁には無数の捜索チラシがびっしりと貼られている。そして気がつくと、「知っている顔がないか」つい探してしまう。「いやフィクションだから…」と脳内で何度もかき消しては、また探す。そして情報を読むうちに、何とも言いがたい不思議な感情が湧き上がってくるのだった。

【身元不明「ひと」の行方不明】
※「○○を探しています」といった貼り紙などの展示を通じて、「行方不明になった人」の輪郭を浮かび上がらせる。

◆複数の携帯電話

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「電話が(行方が分からない妻に)繋がらないのは、
携帯が壊れているからだと思って、
別の携帯を試したらいつか会えるかもしれないと思って、
色んな機械を集めて何度も何度も試したけど、
でも、もういい」(異様な数の携帯電話を集めた夫のコメント)。

説明書を読んだ後、「奇怪」という感情が一気に「悲しみ」へと遷移する。おびただしい数の携帯電話の中には「IDO」や「J-PHONE」など懐かしのキャリアも存在し、年月の長さを想像させるが、この古い携帯の山は妻に向けられた夫の愛? それとも狂気か。

◆公衆電話

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中央に鎮座していたのは、言いようのない威圧感を放つ公衆電話。とある商店街に設置されていたものらしく、その周辺で「謎の叫び声を聞いた」という通報が相次いだという。その声の内容は、

「ちゃんと忘れるから 心配しないで」

通報した人は一様に「確かに中に人がいたのを確かに見たのだが、姿はぼやけたように思い出せない」と話していたそうだ。

電話ボックスは中に入れるようになっていたため、当然ながら中に入り、それが当たり前かのように受話器を手に取って耳に当てる。ものすごい湿度を感じ、受話器からは異音が聞こえた気がした…その後、どんな感情が芽生えたかはご想像にお任せしたい。

【所在不明「場所」の行方不明】
※怪談ネットミームとして代表的な「きさらぎ駅」をはじめ、行方不明となった人がたどり着いたであろう所在不明の異界の景色を示す。

◆「異界駅」の地図

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ある男性が幼少期に見ていたという「夢の中でのみ行くことができた異界駅」の地図。彼はこの「夢」以外の幼少期の記憶を持ち合わせていないという。

「銀行の2階が学校の3-2の教室に通じている」

これを読んだ記者は、「真っ暗な長いチューブを滑り下りていったら、田舎の祖父母宅の蔵座敷に繋がっていた」という、かつて見た不思議な夢を思い出し、幼少期の自分に思いを馳せる。当時はよくこの手合いの夢を見たものだが、そこにはどんな深層心理が存在していたのか。
今でも現実と夢の世界がごちゃ混ぜになることは稀にある。そして、異界と繋がる入り口は、この世界のどこかにあると信じて疑わない自分にふと気づかされるのだった。

◆中学校の準備室から発見されたウィジャボード

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この学校では、ある特異な「学校の階段」が流布されていた。上記はいわゆる「こっくりさん」に相当する存在で、「行方不明になる方法」を教えてもらった数名の生徒が、翌日、忽然と姿を消したという。紙の隅には、「こっくりさん」への「質問文」と思わしきものが羅列され、ある質問文に丸が付けられている。

この展示物にいたっては、1人で考えこむという作業から切り離され、編集担当と「やったよね。動いたよね」「あれは誰かが動かしてたんだよね」「いや、謎」と戯れる。展示物の前では、他の客とも普通に会話をし、思わず考察し合う楽しさも。

◆土砂

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その廃墟では、「地下のまる穴」(2011年)のような「別の世界を志向する」目的で集まった人物たちが詳細不明な活動を行っていたようだ。廃墟の中でもひときわ大きな部屋の中には、大きな土の山が形成されていたという。
展示では、山中に下見に行った男性が提供した映像も。映像では、フラフープの「先」に説明不可能な「何か」が映っているようにも見える。

映像を見る記者たちは思わず息をのみ、得も言われぬ沈黙の時間が流れる。土の山に使用されているのは紛れもない本物の土砂。そして展示物へと向かう途中、部屋の片隅で蛇のようにうずくまる“血のような何か”が付着した“縄のような物体”を目にしたのは、気のせいだったのだろうか。

【出所不明「もの」の行方不明】
※遺留品や遺書など、持ち主から切り離され、止まった瞬間の中にありつづける物たちの姿を通じて、行方不明という現象そのものの輪郭を描き出す。

◆香水

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ある二世帯住宅で大掃除の際に棚の奥から見つかった香水。家族に香水を使用する人がいないため不気味がられていたのと、家族の中で最も若い四歳の男児がこの香りをいたく気に入っていたため、捨てられずにいたそう。

「実際に嗅いでみていただければと思います」とのことなので、蓋を開けて嗅いでみる。
その昔、母や祖母がつけていたツンとくる懐かしい香り…記者は勝手に「昭和の香水」と呼んでいたが、古い香りがなぜ棚の奥に? 他に何者かが住んでいたのだろうか。

◆とある山に置かれていた複数のオブジェクト

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木に供えるように置かれていたのは、汚れたうさぎのぬいぐるみと小さなペットボトル、殴り書きのメッセージ。メッセージにある「今度こそ」から、過去何かに失敗し、後悔しているような形跡がうかがえる。
誰かが供えた物なのか…薄汚れたファンシーなうさぎを見ただけで、不穏な気持ちに。

◆手作りの立て看板

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とある山に無断で立てられていた木製の看板。「『それ』はいなくなりたいと願った人の前に一度だけ現れ、『それ』を受け容れることで『ここ』からいなくなってしまう」という。
「私のように選択を誤らないでください」という表現から、書き手は「それ」を拒否し、それが「誤り」だったと認識しているようだ。

前出のうさぎのぬいぐるみ、そして看板…どちらも舞台が人気のない山であることが胸をざわつかせるが、文末にある「宝くじは連続で当たらない」という表現に人間臭さを感じ、思わず笑ってしまう。そして「それ」に対する妄想が、勝手に頭の中で膨らんでいく。

【真偽不明「記憶」の行方不明】
※喪失された記憶、名実ともにこの世界に存在しない「誰か」にまつわる記憶をたぐりよせ、「行方不明」の“末路”に思いを馳せる。

◆熊のぬいぐるみ

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ある女性の生家から見つかった熊のぬいぐるみ。まるで「それと遊んだ記憶ごとそこに押し込んだかのように」、壁と柱の間に押し込まれていた状態だったそう。

持ち主がそこまでして消したかった記憶…こめかみにある黒いものは血痕なのか。熊は、会場の地下の端っこで、くたくたになって壁に寄りかかるように横たわっていた。

◆家族の絵

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ある女性が幼少期に描いた絵。(見ようによっては)不自然な空白があるようにも見える。
なお、彼女は六歳くらいの頃、突然「おにいちゃんがいなくなった」と泣き喚いたそう。
しかし、今の彼女にそんな記憶はなく、そもそも彼女には兄は存在しないという。

この絵を見て思い出したのは、幼少期に実家で飼っていた犬のことだった。彼は気がつくと、いつも白い壁をじっと見つめていたのだ。そこにはもちろん何かが存在するはずもなく、当時の記者は、それを怖いと感じることさえないほど幼かった。

展示を見て回った1時間強(※後日2回目を体験)、完全に日常から解き放たれていた。知らずのうちに深く考えさせられる展示物の数々…。説明書きを読んでいくと、自然と「行方不明」という言葉に対するさまざまな解釈や憶測が生まれる。例えフィクションだと理解していても、痕跡を目にすると、その向こう側にある“何か”についてさまざまな想像をしてしまうのが人間のサガ。「行方不明」には、数え切れないほどたくさんの感情がうごめいている。

変わらない日常、何かに縛られながら生きていく、そんな生活から逃げ出すことができたなら… 一度でもそう考えたことがある人は多いだろう。しかし、今の生活から逃れたとしても、その先に幸せが待ってるとは限らない。
生きることに嫌気がさしてしまいそうなほどの猛暑の中、「行方不明展」を訪れた人々の心の中には、きっと何かしらの新たな発見があるに違いない。

9月1日(日)まで福島ビル(東京・中央区)で開催。

(取材・文/水野春奈)