仕込みに17時間!ブルガリア女性が銀座の名店で“究極のかんぴょう巻き”を学ぶ:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、“ブルガリア女性の初来日の様子”をお届け。さらに、“ニッポンに行きたいアメリカ男性”を紹介します。

【動画】「ニッポンに行きたくて行きたくてたまらない」と願う外国人に密着!そこにはたくさんの感動が!

名店の巻き寿司と、かんぴょう農家の伝統製法に感動


紹介するのは、ブルガリアに住む、「かんぴょう」を愛してやまないケーシーさん。

記事画像
巻き寿司の定番かんぴょう巻きの他、昆布巻きやロールキャベツなど、「結ぶ」ことができる食材として重宝されているかんぴょう。江戸時代に滋賀と大阪でかんぴょうの生産が広まり、浮世絵師の歌川広重は、滋賀の水口でかんぴょうを干している情景を作品に残しています。

また、大阪ではかつて木津と呼ばれた地域で作られたため、寿司店の隠語でかんぴょうを木津と呼ぶ人も多いそう。最近では、医療の分野で、その弾力性が人間の皮膚に似ていると、医科大学で縫合練習にも使われています。

ケーシーさんが初めてかんぴょうに出会ったのは20年前。ニューヨークで旦那さんと一緒に食べたかんぴょう巻きの美味しさに感動! かんぴょうを売っている店をブルガリアの首都ソフィアで探し回ったものの、なかなか売っている店がなく、中国の食品を扱う店でようやく手に入れたそう。

記事画像
ここで、ケーシーさんのかんぴょう巻きの作り方を見せてもらうことに。
まず、かんぴょうを水で戻し、砂糖、みりん、醤油を入れて煮込みます。シャリは、お米を鍋で炊いて冷まし、酢やみりんを混ぜて作ります。このシャリを海苔の上にのせて、かんぴょうをたっぷりと巻いたら出来上がり。
レシピはインターネットを参考にしていますが、日本語表記しかないため、家族や友人の感想をもとに少しずつ改良しています。

家族のイベントにも、欠かさずかんぴょう巻きのお弁当を作っていくほどかんぴょうが大好きなケーシーさん。「私は農業を営んでいるので、かんぴょうがどのようにできるか知りたいです」と話し、ニッポンで本物のかんぴょうを学びたいと願っています。

そんなケーシーさんをニッポンにご招待! ところがコロナの影響で来日できず……あれから3年、ようやく初めてのニッポンにやってきました。

向かったのは、東京・銀座の「鮨きよし」。名店「銀座久兵衛」で修業を積んだ酒井清志さんが店を仕切り、本格的な江戸前寿司を堪能できると通の間で大評判のお店です。中でもかんぴょう巻きは、店の名物寿司。今やほとんどの寿司店が既製品を使う中、素材から吟味し、どのネタよりも仕込みに時間をかけています。

こちらでいただくのは、ランチ限定の握りコース。独特の甘さが残るかんぴょう巻きは、昔から江戸前寿司では最後の「締め」だそうで、ヒラメやマグロなどの握りを堪能した後に提供されます。

記事画像
清志さんが作る様子に興味津々のケーシーさん、「シャリとかんぴょうの割合が私のものと全く違います」とびっくり。かんぴょうが主役なので、シャリを少なめにしてバランスをとっているそう。念願だったニッポンのかんぴょう巻きをいただくと「お〜いしいかんぴょう巻き!」と日本語で感動を表現。ワサビ入りも「ファンタスティック!」と絶賛しました。

「私が作るのはこんなに繊細な味ではありません。いつも甘すぎるなど、極端な味になり、深みを出すことができないんです」とケーシーさん。すると、江戸前寿司の中でも一番手間暇がかかる、かんぴょうの仕込みを見せていただけることに!

と、その前に、そもそもかんぴょうはどうやって作られているのかを知るため、栃木県の壬生町へ。栃木県は、国内生産98%を占めるかんぴょう王国。

今回は、昔ながらの伝統製法にこだわるかんぴょう農家の栃木功さんとご家族、親戚の皆さんが快く迎えてくださいました。かんぴょう作りは、一人ではできない大変な作業。ご家族と親戚が協力して行っています。

早速「かんぴょうフクベ」の収穫へ。かんぴょうの元となるのは、瓜科のユウガオ。「干瓢(かんぴょう)」の「瓢」の1文字でフクベと読むため、栃木ではユウガオをフクベと呼んでいます。

記事画像
1つ7キロもあるフクベを収穫するのは、かなりの重労働。しかもこの日の気温は37度! フクベの収穫は、暑さとの戦いです。ケーシーさんもお手伝いさせていただきます。

4月に苗を植えると、わずか3カ月で収穫に至るフクベ。成長のスピードが速く、収穫のタイミングを逃すとすぐに肥大化し、繊維が壊れて商品になりません。葉の下に隠れた実を見落とすと、どんどん大きくなってしまいます。そんな中、次々と隠れたフクベを発見するケーシーさん。功さんに「グッドですね! 見分け方も早いし」と褒めていただきました。

実はケーシーさん、ブルガリアで日本人からかんぴょうの種をいただき、農園に種を蒔いたことがあるものの育たなかったそう。フクベの実は90%以上が水分で、短期間に晴れと雨を繰り返すと著しく成長します。栃木県は雷が多く夕立が発生しやすいため、フクベが育つのに最適。一方ブルガリアは、気温が高くなるだけで雨がとても少ないのです。

2時間ほどすると、軽トラックの荷台はいっぱいに。フクベを詰んだトラックが走るのも、この町ならではの光景です。この日に収穫した数は104個。夏の間は毎日これくらい取れるそう。

この後は、専用の機械でフクベの実を剥く作業。まずはフクベに鉄の軸を刺し、機械にセット。フクベを回転させながら「かんぴょう皮引き」という道具で皮を剥き、実の部分は機械の刃を押し当てて厚さ2ミリに削っていきます。削れた実が勢いよく飛んでいく様子に、ケーシーさんはびっくり! 中心付近に来たら、種の直前で回転をストップさせます。

記事画像
ケーシーさんも、かんぴょう剥きに初挑戦! 回転させるペダルを足で踏みながら、手を動かすのは至難の業。功さんに助けていただきながら、なんとか実を削ることができました。削ったかんぴょうは竿にかけ、2メートルほどにカット。短いものは家庭用に。

ちなみに、この日収穫したフクベを剥くのは翌日の朝。フクベは腐りやすいため、削ったらすぐに日に当てて乾燥させる必要が。日に当てる時間を長くするため、前日に取ったフクベを朝4時から剥き、午前中のうちに干すのです。かんぴょう農家は夏の間休みなく、約50日間この作業を繰り返します。翌朝5時、ケーシーさんは剥いたかんぴょうを干す作業をお手伝い。作業場と直結したビニールハウスで、この道60年のベテラン、タミさんに教えていただきます。

記事画像
削ったかんぴょうを1本ずつ竿にかけていくのですが、糖分で表面がヌルヌルしているため、滑り落ちてしまうことも。2人で作業を続けること2時間、昨日収穫した104個分のフクベを全て干し終えました。

その後、太陽に照らし、ビニールハウス内の温度を50度以上にすることで水分を抜いていきます。すると甘みだけが残り、独特の香ばしさが出て、かんぴょうになっていくのです。

夕方になると、栃木家が営む食堂「とちぎや」へ。こちらでケーシーさんの歓迎会を開いてくださるそう。功さんのいとこ、和子さんの計らいで一緒に料理を作ることになり、かんぴょうがたっぷり入った太巻きと、壬生町のソウルフード・かんぴょうの唐揚げを作りました。

とちぎやに集まったのは、親戚や友人27名。テーブルには、サラダや和え物、お吸い物などかんぴょう尽くしの料理が並びます。功さんの叔母・ミイさんが半日かけて作ってくださった五目ご飯も。この五目ご飯が一番食べたかったというケーシーさんは「出汁のしみたかんぴょうがとても美味しいです!」と大満足。

歓迎会では、様々な趣向を凝らしてケーシーさんをおもてなし。功さんが大好きな矢沢永吉さんの歌を披露すると、ケーシーさんも1969年にヒットした「スイート・キャロライン」を歌います。実は、この曲を選んだのには理由が。癌で亡くなった叔母の名前もキャロラインで、素敵な人だったと思い出させてくれる曲なのだそう。

すると功さんが、6年前に白血病で亡くなった姉・美代子さんの話を。功さんが小さい頃からよく面倒を見てくれたそうで、「感謝してもしきれない姉でした」と話します。

そんな美代子さんが特に力を入れていたのが、壬生町の民謡「かんぴょう音頭」。昔から町のイベントなどで流されている、壬生に根付いた曲です。昭和9年にレコード化され、その歌い手となったのが功さんの祖父であり、かんぴょう一族を築いた栃木勝一郎さん。美代子さんは、このかんぴょう音頭を後世に残そうと奮闘していたのです。ケーシーさんは功さんに「とても悲しいです。でも美しい話だと思います」と伝えました。

一方、この日は銀座の「鮨きよし」へ。今回の最大の目的、膨大な手間暇をかけるという究極のかんぴょう巻きを教えていただきます。

「鮨きよし」では、栃木県産のかんぴょうを使用。現在、国内に出回っているかんぴょうの8割が外国産ですが、国産はより歯応えがあり、味がしっかりと染み込むのが特徴です。これを前日の夜から水につけ、12時間かけて戻します。

記事画像
時間をかけて戻すことで、たっぷりと水分を含んだかんぴょう。そこに粗塩をかけて揉みます。こうすると、しんなりとして艶が出て、煮上がりが早くなるそう。

塩は水で洗い落とし、次は柔らかくするための白煮。30分ほど煮たら、爪で押して柔らかさをチェックし、冷ましたら約5ミリ幅の細切りに。細くすると「巻いた時ふわっとなる」と清志さん。ケーシーさんは「巻き寿司の中の空気量まで気を遣うとは考えもしませんでした」と驚いた様子。

かんぴょうを全て切り終えるのに2時間。前夜から仕込みを始め、ここまで計16時間! カットしたら、切った時の感触で硬いものと、柔らかいものに分けるのが大切なポイント。かんぴょうは皮に近いほど硬く、種に近いほど柔らかくなり、わずかに差が出てしまうのです。

そして、一番大事な味付け。味を決める調味料にもこだわりが。
前回かんぴょうを煮た時の、旨味が詰まった煮汁に醤油、日本酒を加えていきます。さらに、江戸時代からの製法で作っている「玉砂糖」と「ふるさ糖」も。サトウキビから抽出したミネラル豊富な2つの砂糖をブレンドすることで、上品な甘さとコクを生みます。

調味料を鍋に入れたら火にかけ、かんぴょうを入れます。火が通りにくい硬いものは先に入れ、一煮立ちしたら柔らかいものを。「時間差で煮るなんて驚きです! そのために2つに分けていたんですね!」。

記事画像
手間がかかるからこそ、職人の腕が試されるかんぴょう。昔から「かんぴょう巻きのうまい店は名店の証」ともいわれる所以です。清志さんは「これだけ手間暇かけて作ってあげて、『全然違うね! 美味しいね!』と言われる時が僕らは一番うれしい」と語ります。

味を染み込ませること1時間。鍋の中は硬いものと柔らかいものの2層になっており、上の方にはまだ煮汁が行き届いていません。そこで、上のかんぴょうにも味が浸透するよう、鍋ごと振って、上下を返します。かんぴょうがデリケートなため、箸で混ぜると崩れてしまうのです。

こうしてひたすら鍋を振り続け、煮汁が行き渡ったら出来上がり。前夜から仕込み始めて17時間、ついに究極のかんぴょうが完成しました。

記事画像
「大変な努力が求められる料理だとわかりました。ここで学んだことを生かし、帰国したら必ず挑戦します」とケーシーさん。出来上がったかんぴょう巻きをいただき、清志さんに「まさに究極のかんぴょう巻きです! 初めて食べた時より心にしみる大変な感動があります」と伝えました。

清志さん、本当にありがとうございました!

再び壬生町に戻ったケーシーさん。実は、伝統的なかんぴょう祭りにも参加し、かんぴょうを愛する方々と出会いたいと話していました。壬生町では、かんぴょう音頭を踊る夏祭り「壬生ふるさとまつり」が開催されていますが、今回は残念ながらケーシーさんの来日期間と合わず。そこで、栃木家の皆さんがお手製のかんぴょう祭りを開催してくださることに。

かんぴょう音頭の初代の歌い手だった、功さんの祖父・勝一郎さん。二代目は、功さんの父・正一さんが務めました。そして三代目として「自分が歌い手になる」と張り切っていたものの、志半ばで亡くなった、功さんの姉・美代子さん。最愛の姉の想いも、今回の祭りに込められています。

栃木家の皆さんから浴衣をいただいたケーシーさんは、「感謝と興奮が入り混じってとても不思議な気持ちです」。

記事画像
祭りの会場に向かうと、地元の子どもたち30名がお出迎え! やぐらの上には栃木家の皆さんが。現在歌い手を務める、功さんの叔父・勝さんの歌に合わせてかんぴょう音頭を踊ります。

かんぴょう音頭は、壬生にかんぴょうが伝わった由来を歌にしたもの。今から300年前、壬生は農作物の乏しい村でした。そこで、藩主の鳥居忠英が、滋賀からかんぴょうの種を取り寄せて蒔いたところ、立派なフクベに育ったそう。こうしてかんぴょうの生産が始まり、農家も増えて一大産地に。

しかし、外国産の輸入が始まると、国産かんぴょうの生産量は著しく減少。6500軒あった農家の数も、今や194軒に。それでもかんぴょうの恩恵を忘れまいと、地元の小学校では運動会の演目にかんぴょう音頭を取り入れています。そんな大切なかんぴょう音頭を、代々歌い続けてきたのが栃木家なのです。

「町の人がこんなに集まってくれて、本当に素晴らしい祭りに参加できました。一番に感じたのは、この町に住む人たちの強いエネルギーです。かんぴょう音頭で一つとなり、その力がより大きく感じました」とケーシーさん。

別れの時。集まってくださった皆さんに「この町に迎え入れていただき、心から感謝しています。一生忘れられない経験になりました」と、感謝の気持ちを伝えます。

記事画像
お世話になったお礼に、ケーシーさんが育てたチェリーを使ったお酒、オリーブオイルで作った自家製のボディーソープなどをプレゼント。すると皆さんから、シロップ漬けなどを詰め合わせたかんぴょうセットや、出来立てのかんぴょうを4キロもいただき大感激!
皆さんとハグを交わし、別れを惜しみました。

栃木家の皆さん、本当にありがとうございました!

かんぴょうを通じて、さまざまな出会いがあった初めてのニッポン滞在。帰国を前にケーシーさんは「畑からレストランの皿にどんな過程を経てやってくるのか、この目で学ぶことができました。そこには多くの情熱と愛が込められていて、かんぴょう巻きにそれが全て詰まっているとニッポンで教えられました。必ずまたニッポンに戻ってきます!」と語りました。

画像ギャラリー

PICK UP