過疎の町から世界へ躍進~サツマイモ ビジネスの全貌:読んで分かる「カンブリア宮殿」

公開: 更新: テレ東プラス

10/26カンブリア

アジアで爆売れ&国内でも人気~国内最大級のサツマイモ企業

スーパーやコンビニの店頭でよく見かける焼き芋。現在、第4次サツマイモブームと言われる。人気は日本だけではない。香港で開催された食の展示会「フード・エキスポPRO2023」。世界のメーカーがグルメを持ち寄ったのだが、ひと際、客を集めていたのがサツマイモのブースだった。

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国産のサツマイモ輸出量はこの10年で急増し、現在は年間およそ5700トン。そのうち約1000トン、2割近くのシェアを持つのが、くしまアオイファームだ。

アオイファームは国内外に向け、9品種のサツマイモを生産している。中でも看板商品が、人気の高い品種「べにはるか」の独自ブランド「葵はるか」。焼けばトロトロ食感になり、極上の甘さが口いっぱいに広がる。また「宮崎紅」という品種の独自ブランド「べにほっくり」も推している。こちらは昔ながらのホクホク食感だ。

こうしたサツマイモが都内の名店で使われ、客を呼び込んでいる。

東京・豪徳寺で評判の和菓子屋「まほろ堂蒼月」。大量のサツマイモの皮を剥き、火を入れながら丹念に練り込んでいく。出来上がるのはハチミツのような甘さを持つ「芋ようかん」(242円)。これが世代を超えて大人気になっている。

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東京・要町のスイーツ店「芋王本店」のイチ押しは、強い甘みを持つ「葵はるか」で作った「スイートポテトバウム」(380円)。焼き芋のスイートポテトをバームクーヘンに流し込んだ逸品だ。

こんなサツマイモブームを影で支える、くしまアオイファーム。その拠点は宮崎県の最南端、鹿児島との県境に位置する串間市。人口1万5000人余りで、高齢化率が45%と典型的な過疎の町だ。

広がっているのはアオイファームのサツマイモ畑。この地に43ヘクタール、東京ドーム9つ分という広大な自社農場を持つ。全国のサツマイモ農家とも契約しており、年間取扱量は1万トンを超え国内トップクラス。従業員113人。茨城や沖縄にも拠点を持つ。

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創業者の池田誠会長(53歳)は10年前まで、家族4人でサツマイモを作る一農家に過ぎなかった。しかし2013年、それまでのやり方と決別して起業した。

「串間を変えたかった。新たな日本の農業のかたちをつくりながら、これまで串間になかった会社をつくったらどうなるのだろう、と」(池田)

妻の反対を押し切り農協からも脱退。くしまアオイファームという会社で独自ビジネスに乗り出した。するとこの10年で売り上げは40倍、22億円まで伸びた。

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農家から世界へ打って出る~過疎の町で成功する手法

〇躍進の秘密1「極上の甘さ」

アオイファームのサツマイモは全国の販売店から引く手数多。首都圏のスーパーからも注文が絶えない状態となっている。この日は地元・宮崎県内のスーパーに専用ブースを作り、客にアピール。試食した客の多くは「甘い、甘い」と口を揃える。

くしまアオイファームの本社。サツマイモの実をイメージしたクリーム色のモダンな社屋の隣には、サツマイモの皮をイメージした紫色の建物が並ぶ。ここはサツマイモの定温貯蔵庫。温度は13~15度、湿度は95%に保たれている。

「秋口の土中の温度がだいたい13度から15度。それ以下だと傷んでしまうし、それ以上高くなると発芽してしまいます」(池田)

この限定条件での貯蔵が甘さの秘密だ。

「サツマイモというのは掘り起こした直後はあまりおいしくないんです。でんぷんが多いので、貯蔵することでそのでんぷんが糖化します。平均2、3カ月で甘くなる」(池田)

こうしてもともと甘い品種からさらに甘さを引き出しているのだ。

〇躍進の秘密2「海外で勝負」

そもそもアジアへの輸出は苦肉の策だった。

「串間市は南九州の端っこなので、国内販売は流通経費がかかり物流で負けてしまう。都市部で勝負するのは厳しかった」(池田)

サツマイモの流通は、例えば東京なら茨城県や千葉県から、大阪なら徳島県からが主流。串間市からは遠すぎた。そこで池田は博多港から出ている船便を使った海外輸出に目をつけた。

香港やシンガポールのスーパーでテスト販売を行い、現地のニーズも探った。すると意外にも、アジアで好まれていたのは小ぶりの芋。今までは商品にならないと破棄していたようなサイズだった。

「ほとんど蒸しておやつ感覚の蒸し芋として食べられます」(池田)

そこで池田は苗を植える間隔を狭くして小さな芋を育てる方法を開発。地域の農家が捨てていた小さな芋も割高で買い取った。

こうした独自戦略で、アオイファームは国内屈指の輸出量を手にしたのだ。

〇躍進の秘密3「人材集め」

高齢化が進む地域にあって、アオイファームの社員の平均年齢は33歳。ほとんどは外から集めた人材で、彼らが躍進の鍵を握る。

堀内翔斗の前職は大手商社マン。海外勤務を経て、5年前、アオイファームへ移った。

「正直、前の会社は倒産しても代わりになるものがありました。アオイファームは地域にとっても日本にとっても絶対に必要な会社。ないと困る人が多いと思う」(堀内)

転職当時、給料は3分の1になったが、やりがいを感じたと言う。海外展開での貢献は絶大だ。こうした即戦力の人材が脇を固め、経営者としては素人だった池田を支える。一方で池田も、講演などで農業の大切さを訴え、若者たちを仲間に引き込んだ。

宮崎の過疎地域で「農業改革」を実践するアオイファーム。池田が掲げた理念は「強い農業はこえていく」だ。

「過疎地域で起業するにはいろいろなしがらみを乗り越えていかなくてはならない。『強い』というのは人を打ち負かすという意味ではなく、社員自身、会社自体が強くなろうということです」(池田)

「なんで俺に農業をさせた?」~父の大病を機に農家を継ぐが…

池田は5年前、自ら社長を退き会長になった。その際、次の社長は選挙で決めた。会社には長男・啓人も働いていたが、「よく言うじゃないですか、『企業は三代続かない』と。クリーンなかたちで次のリーダーを決めたかった」と言う。

選挙には啓人を含めて複数が名乗りをあげ、選挙演説を行い、社員だけでなくパート従業員や海外からの技能実習生まで投票。全員で社長にふさわしいと思う人を選んだ。

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その結果、社長の椅子に座ったのは商社から転職してきた奈良迫洋介だった。

「立候補するからには勝ちたいと思っていたので、率直に『やった』と思いました。30歳そこそこで社長になれるチャンスがあるのに、逆に他の人は『なぜ手を上げないんですか』という感じでした」(奈良迫)

一方、敗れた啓人は「9割は『仕方ない』。実績も少なかったので、思いを伝えても従業員には響かないですよね」と言う。

会長の池田は農家を営む両親の元、1970年に生まれた。父親は農業だけでは家族を食べさせることができず、大工仕事で日銭を稼いでいた。

「正直に言うとすごく恥ずかしかったです。同級生の父親が普通の会社員だときれいな家に住んでいる。自分の家は貧乏だと感じ、自分の家を誇らしく思えないというか、両親を尊敬できないというか」(池田)

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そんな暮らしに嫌気がさし、池田は高校を卒業すると串間を飛び出した。大阪の精肉店などで働いたが、夢も希望もなく、惰性で毎日を過ごしたと言う。

転機は23歳の時。父親が末期がんに倒れ、後を託されたのだ。池田は仕方なく嫌っていた家業の農家を継ぐことにした。

しかし、農業は素人同然。畑で毎日奮闘したが、害虫に悩まされ続け、挙げ句の果てには台風で作物が全滅。何をやってもうまくいかなかった。

「つらくて儲からなくて、母に『なんで私に農業させた』と。『自分に農業をさせた両親が悪い』と、努力することを諦めたんです」(池田)

そんな時、ふと自分の子供たちを見て気づく。

「『息子と娘は私のことを誇らしく思っているか、尊敬できるか』と思った時に、全くできない。自分だったら尊敬できない。『これではダメだな』と思ったんです」(池田)

そこから池田はサツマイモ作りにかけ、品質と規模の向上に突き進んでいく。

農協を脱退して業績アップ~逆境を乗り越え農家支援&輸出拡大

しかし、池田にまた新たな葛藤が生まれる。

「農協へ出荷する場合は作って終わり。作って農協に持って行ったら仕事が終わるんです。それでは楽しくない。消費者に自分の作ったものを届けたいと」(池田)

いくら高品質のサツマイモを栽培して卸しても、農協では他の芋と混ざってしまい消費者の顔も見えてこない。やりがいを見いだそうと、池田は41歳で農協からの脱退を決意。退路を断ち、家族4人で販売まで全てやろうと決めた。妻・ゆかりは語る。

「農協からの脱退は絶対反対でした。義母と2人で反対しました。農協から抜けて独り立ちするのは不安でしたが、結局、押し切られました。でもやってみたら楽しかった。自分たちで売る喜びがあったし、お客さんの反応を知ることができました」

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池田は家族で作った良質なサツマイモを携え、他県のスーパーに営業をかけ、評価を高めていく。栽培から営業まで全てをこなし、売り上げは1年目から5000万円に達した。だが、池田は当時のことをスタジオでこう振り返った。

「家族4人で5000万円というのは日本でも上位に入ると思います。しかし年間、10日も休んでいなかった。時給にしたら500円切るぐらいかと思います。それぐらい朝から夜まで必死に働いた。家族にも、自分の欲望を満たすために怒って仕事をさせていた。『もっとできるよね』『もっとここにも出せる』『もっと朝早くから』と。幸せかと思った時、妻も母も息子もつらそうに仕事をしていた」

家族でやるのに限界を感じた池田は2013年、43歳でくしまアオイファームを創業。会社で成長する道を選ぶ。しかし、周囲からは懐疑的な目を向けられた。池田の小学校からの同級生が語る。

「『うーん、続かないだろうな』と。串間の土地柄で、初めての試みには『それは無理』『すぐ潰れる』と言う。『頑張れ』という雰囲気はなかった。池田はよく『いい部下がいる、絶対に伸びる』と言っていました」

池田は若い社員とともに強い農業を目指し走り続けた。そんな時、一人の来訪者が状況を変える。ある日突然、農林水産省の当時の大臣官房審議官・長谷部正道さんら幹部が視察に訪れた。池田が目指す農業を訴えると、「『きみの言っていることは正しい。微力ながら応援するよ』とおっしゃってくださった」(池田)。

国の後ろ盾を得たアオイファームは輸出事業をさらに拡大。それに伴い取扱量をもっと増やそうと、全国の契約農家が仕事をしやすいように動いていく。

佐賀・唐津市の契約農家、ネパール人のラマ・カンチャさんも力を借りたひとり。去年からサツマイモを育て始めた。

「苗作りからしっかり指導してもらい、いいサツマイモが採れています。土作りの手順も紙に文章で起こしていただいた」(ラマさん)

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農家の出費を減らそうと、トラクターなども貸し出した。

「細かいところまで面倒を見ていただき、すごく感謝しています」(ラマさん)

アオイファームは2017年、農林水産大臣賞を受賞。輸出に取り組む優良事業者としてお墨付きをもらった。これで周囲の会社を見る目も変わる。農協とも協力関係を結び、今では全国から参考にしたいという見学者が後を絶たない。

全国の農家に被害が拡大~サツマイモ基腐病と戦う

ブームの真っ只中にあるサツマイモだが、その一方で芋農家を怯えさせる伝染病が流行っている。

鹿児島・志布志市のサツマイモ農家・柳井義郎さんは「収入は半減以上」と言う。

「茎の部分から枯れて、芋が腐ってしまう病気。掘っても腐った芋があがってくる。サツマイモ基腐(もとぐされ)病です」(柳井さん)

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カビの一種が芋を腐らせてしまう病気で、厄介なことに極めて感染力が高い。この数年で被害は33都道府県にまで広がっている。

この問題にアオイファームは宮崎大学とタッグを組んで研究。ある対策を見出した。鍵を握るのはポリフェノールだと言う。

「もともと植物はポリフェノールで病気から守られているのですが、ポリフェノールが低いほうが感染しないです」(宮崎大学農学部長・國武久登教授)

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サツマイモの苗を使った実験では、ポリフェノールの低い品種のほうが腐らずに育った。今年、この病気への対抗力が強い新品種「田野62号」の開発に成功。今後、全国の農家に広く販売していくつもりだ。

「日本の農業自体をどうにかしたいので、次々と新しい品種を作っていかないといけないですね」(奈良迫)

~村上龍の編集後記~
串間で、誰も挑戦したことがない農業モデルを作る、それが自分の使命だと思った。稼げる農業モデルに変えられるのかを考え続けた。2011年、JAへの出荷を止めた。退路を断って、自分の責任で生産から販売までやろうと。母親や親族からは猛反対されたが、スーパーなどに1軒1軒訪ねて直接営業をした。シンガポールへの輸出をはじめる。ほくほくしておいしいとすぐに評判になった。池田さんが作るサツマイモは、極上のデザートのようだ。「赤ほや」と呼ばれる火山灰が積もった土壌が生んだ、味なのだ。

<出演者略歴>
池田誠(いけだ・まこと)1970年、宮崎県生まれ。1993年、家業の農業を継ぐ。2011年、農協への出荷をやめ直接販売に転換、2013年、農業法人くしまアオイファーム設立、社長就任。2018年、会長就任。

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