10月6日(金)に放送された「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは、「追跡!闘う人たち第1弾 “ものづくり”の魂は死なず!」。
「ガイア」がこれまで追いかけてきた数多の“闘う人たち”。あの時、何を考えていたのか。時代が移り変わり、今は何をしているのか、シリーズで追跡する。
今回は、自動車産業、時計産業、いち早く再生エネルギーの開発に挑んでいた町工場などを追跡。“ものづくりニッポン”の灯を消すまいと闘い続けてきた人々の“足跡”と“今”を追う。
【動画】追跡!闘う人たち第1弾 “ものづくり”の挑戦者たちは今…
軽自動車にF1…HONDA復権を託された魂の技術者
長野県・松本市にあるイベント施設で休日に開かれていたのは、軽自動車ばかりを集めた商談会。今や2世帯に1台以上あるという軽自動車は、特に女性ユーザーから圧倒的な支持を受けている。
軽自動車の販売台数で8年連続1位を獲得しているのが、「ホンダ」の「N-BOX」。しかし、その開発の裏側には、「ホンダ」の知られざる苦闘があった。
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時は遡り、2012年1月に放送した「本格決戦!軽自動車ウォーズ」。
埼玉県和光市にある「ホンダ」の営業本部では、軽自動車の販売状況について報告会議が開かれていた。「ダイハツ、スズキがトップブランドで二強状態。ホンダは第4位。中には『ホンダに軽ってあったの?』という声も聞かれている状況」。会議の参加者に笑顔はない。
販売の現場を取材すると、店内はガラガラで人気の軽が売れていなかった。この店は、絶好調の「ダイハツ」の店と向かい合っており、目の前で「ホンダ」の車まで吸い込まれていく。店長は「本当に悔しい。その一言」と本音を漏らす。
2011年秋。栃木・芳賀町にある「ホンダ」の研究開発施設では、「N-BOX」の開発が進んでいた。軽自動車の分野で「ホンダ」が巻き返しを図る戦略車。その開発を任されたのが、浅木泰昭さん(当時53歳)だ。
浅木さんは、入社してすぐにF1のエンジンを担当したエリート技術者で、日本では「オデッセイ」、アメリカでは「アコード」と、「ホンダ」を代表する車種の開発に携わってきた。
今回軽自動車を開発するにあたり、「『女性観点が抜けているのでは?』と言っている。アメリカの男性メインで車を造ってきた会社なので」と浅木さん。
関係者以外立ち入り禁止の建物に集まってきたのは、経理などの事務職に就く女性社員たち。浅木さんは一般女性の目線を取り入れるため、開発の節目節目で意見を聞いてきた。
こうしたヒアリング調査は、3年間で20回を数え、浅木さんは「一生懸命話を聞いて、気持ちを察して、期待のちょっと上をいけたらいいかな」と話す。
女性の意見をまとめた過去の資料には、「シートの柄がうろこのように見えて気持ち悪い」など、散々な評価が書かれていた。
一から開発し直し、シートは柄だけでなく素材から見直した結果、「落ち着く感じでいいと思う」と高評価。シートを倒すと、なんと自転車まで載せられる。子育てママの意見を実現したのだ。
浅木さんは、協力してくれた女性社員たちを前に、「うろこ模様で販売するところだった。男目線では絶対に気付かない。あれをそのまま出していたら半分の女性から嫌われていたかもしれない」と笑顔で話す。
2011年12月、満を持して発売すると、まさに狙い通り! 女性を中心に多くの支持を集めることができた。
「N-BOX」の発売から息つく暇もなく、次なる開発に取り掛かかる浅木さん。カメラを前に「ホンダでしかできない車を出すしか、(お客に)振り向いてもらえない。こういう車がホンダならできるんだと…」そう熱く語った。
時は過ぎ、2023年4月。あの浅木さんはどうしているのか――。
“メード・イン・ジャパン”の腕時計で世界の時を刻め
2016年5月に放送した「ニッポン製“再起”に挑む」。「ガイア」は「Knot(ノット)」という日本の腕時計のブランドを取材していた。
さまざまなデザインの時計本体にベルトを自由に組み合わせることができ、その数は6000通り以上。最大の特徴はメード・イン・ジャパンで、主要な部品と組み立てが日本であることが条件だ。
自社で直接販売するため、価格は1万6000円から(本体+ベルト)とリーズナブル。「ノット」を立ち上げた遠藤弘満さん(当時41歳)は、ヨーロッパから腕時計を輸入し、販売する会社を経営していたが、「手が届く価格のメード・イン・ジャパンの腕時計がマーケットに存在していない。ないのであれば自分たちで作ろう」と考えた。
かつて盛んだった日本の時計産業は、中国などに押され、衰退の一途をたどっていた。
そこで遠藤さんは、メード・イン・ジャパンの時計復活を目指し、全国の工場を回って生産を増やしてきたのだ。
「ノット」を軌道に乗せた遠藤さんは、この時、新たな挑戦に乗り出していた。
「ノット」の時計は全て電池式。一方、ぜんまいで動く機械式時計は高級時計の象徴で、数十万円するものも珍しくない。遠藤さんは「5万円はいかない。アンダー5万円で最高峰の機械式時計を提供する。本格的な機械式時計をメード・イン・ジャパンでお客様にお届けする。日本でできる限りのパーツ生産もする」と意気込む。
中国・深圳。主要な部品や組み立ては日本でも、どうしても中国に頼るしかない部品もある。例えば、ケースと呼ばれる時計本体のフレームや文字盤。文字盤に細かい部品を取り付ける作業の技術も、中国に移転していた。
遠藤さんは、秋田・仙北市にある「セレクトラ」という企業を訪ねる。ここは、組み立てを委託している工場で、新たな文字盤の製造を頼むことになっていた。
文字盤に部品を取り付ける中国のスタッフの映像を見てもらい、試しに、コンマ1ミリ単位の繊細な作業をやってもらう。仕上げにかかる時間は1分40秒ほどだが、中国に比べ、倍以上の時間がかかってしまった。
しかしその後、遠藤さんが3カ月ぶりに「セレクトラ」を訪ねると、あの文字盤の作業が1分39秒でこなせるようになっていた。
さらに遠藤さんは、日本で数少ない高級腕時計のフレームを作る工場「林精器製造」(福島・須賀川市)へ。5万円以下を目指す時計のフレームを作ってほしいと依頼すると、熱意が通じて交渉成立。熟練の職人がフレームを一つ一つ丁寧に仕上げていく…これぞ、日本のものづくりだ!
2016年4月下旬。神奈川・横浜にオープンした新店舗では、早速、メード・イン・ジャパンの機械式時計に注目が集まる。苦難の末に完成した純国産の機械式時計の価格は、4万5000円(税抜き)。
「こんなクオリティーでこの値段で実現できるのはすごい」「メード・イン・ジャパンで全てというのはそうはない」とお客の評判も上々だ。
日本のものづくりを諦めない…遠藤さんの思いが、また一つ形になった。
時が過ぎ、2023年。あの遠藤さんを訪ねると、すごい時計に取りかかっていた――。
再生エネルギーの風を巻き起こせ!町工場が作った唯一無二の風車
今、世界が抱える大問題が地球温暖化。ますます注目が高まる再生可能エネルギーの代表格が風力発電だ。
遡ること11年前、「ガイア」は縦型の羽根で弱い風でも回り続ける不思議な風車を取材していた。
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2012年3月に放送した「逆襲者たち」。
栃木・岩舟町(現・栃木市)。小さな町工場「グローバルエナジー」では、鈴木政彦さん(当時60歳)が、10年前から手作りで風車の開発を続けていた。
鈴木さんが作る縦型の風車の羽根は、「軽い羽根でも上に乗れる」のが特徴。軽さの理由は発砲スチロールで、ガラス繊維を貼り、その上からプラスチックの樹脂を塗ると、軽くて丈夫な羽根が出来上がる。
羽根を縦に2枚つけた形状にも秘密があり、扇風機の風を止めると、風は止まるが、失速しない。鈴木さんによると、風が止んでも羽根の周りには空気の流れができており、それを捉えて回り続けるという。
常識を覆す風車を生み出した鈴木さんは、自動車のバンパーなどを扱う下請けの部品工場を経営していたが、50歳を迎えた頃、独自の仕事がしたいと思い立つ。当時から、国は風力発電を促進し、風車に追い風が吹いていた。
「自分がやるならもっと効率のいい風車ができるのでは。それが風車を始めたきっかけ」と話す鈴木さん。
しかし、開発は苦労の連続で、作った羽根の試作品は4000枚を超えた。それでもあきらめなかった鈴木さんに、ついに大きなチャンスがやってくる。
2011年11月。東京・八丈島から大口の注文が舞い込んだ。急な斜面の先には3基の風車があり、八丈島町が買ってくれたというのだ。鈴木さんは「ここまで回る風車は初めて見たと言ってくれた。青ヶ島にも設置したいと言ってきたので、徐々に普及するのでは」と話す。
時は過ぎ、2023年9月。再び工場を訪ねると、鈴木さんはさらに常識を覆す、新たな風車に取り組んでいた。
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