線香花火の老舗で職人の技を学んだアメリカ男性が、近未来の線香花火を開発!:世界!ニッポン行きたい人応援団

テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、「ニッポンの夏を愛する外国人大集合!スペシャル」をお送りします。

【動画】「ニッポンに行きたくて行きたくてたまらない」と願う外国人たちをご招待!

思いもよらない職人技に驚き! 帰国後は「不燃性線香花火」の開発に成功


紹介するのは、アメリカに住む、「線香花火」を愛してやまないベンさん。

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ニッポンの夏の風物詩であり、老若男女に愛される手持ち花火の代名詞、線香花火。
元々は、徳川家康が日本初の鑑賞用花火を手掛けたとされており、その後、玩具花火といわれる庶民向けの花火が開発される過程で、線香花火が誕生しました。

ニッポンの線香花火が一番好きだと話すベンさんは、自作もしているそうで、作り方を見せてもらうことに。

小さな箱を手に外に出たベンさんは、松の木を箱に入れ、ガスバーナーで加熱。これで松炭ができました。松に含まれる松ヤニや木炭が必要だそう。
材料は、硝酸カリウム6グラムと硫黄3グラム、松炭1グラムで、「材料一つひとつの重さがとても重要なんです」とベンさん。3つの材料を混ぜ合わせたら、燃えにくい紙を細くカット。この紙に材料を入れてねじり、先端を切ったら完成です。

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試行錯誤の末、10年かけて完成した線香花火。火をつけると、ニッポンの線香花火のような火花が出ました。

実はベンさん、科学実験動画のYouTuber。しかし、動画を月に1〜2本程度しか作れず、生活はギリギリ。ニッポンにはまだ一度も行ったことがなく、「私の線香花火は燃焼時間も短く、火花も小さいので上手く広がりません。どうしたら長く、そして上手く火花が広がるのかが知りたいです」と話します。

そこで、ベンさんをニッポンにご招待! 4年前、初めてニッポンにやってきました。

向かったのは、江戸時代から花火製造が盛んな福岡県みやま市。今回は、100年近くの歴史を持つ「筒井時正玩具花火製造所」でお世話になります。
内職の方を合わせて約100人の職人が、玩具花火と呼ばれる一般家庭向けの花火を手作り。上質な国産の線香花火を作り続ける、ニッポンに3社しかない製造元の一つです。

出迎えてくださったのは、3代目の筒井良太さん。奥さんの今日子さんも、ご主人と一緒にこだわりの線香花火を作っています。

作っている花火を見せていただくと、その種類の多さにベンさんはびっくり! さらに、ニッポンの職人が手がける線香花火の美しさに感動! 紙の裁断から染色まで一から作っているため、いろいろなタイプの線香花火をオーダーで作っています。

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ニッポンの線香花火を初めて手に取り、「美しいです。紙の巻き方も私のものと違うように思います」とベンさん。筒井さんによると、巻き方には職人技があるとのこと。

ここで、お店の奥へ。訪れた人に線香花火の魅力を知ってもらうため、体験用の花火が無料で楽しめる専用の部屋です。

ベンさんが線香花火の正しいやり方について質問すると、火は先端だけにつけ、火薬の部分を炎で包ませないようにした方がいいとのこと。火をつけ過ぎると紙だけが先に燃え、玉が落ちる原因になってしまいます。

線香花火に火をつけると、大きくきれいな火花が。良い線香花火の条件の一つは、最後まで火の玉が落ちないこと。「完璧な美しさでした。わずかな火薬でこんなにもきれいな現象が見られるのが本当に凄いです」。一般的な花火は火薬の燃焼そのものを楽しみますが、線香花火は、火薬が燃焼した後、火が消え入るまでに起こる現象を楽しむのが他の花火と違うところ。

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線香花火には4つの変化があり、それぞれ花や木の名前がついています。
まずは火の玉ができる「蕾」。そして「牡丹」のように大きな火花が散り、「松葉」のように枝分かれして、最後は菊の散り際のようにはかない「散り菊」。筒井さんの線香花火は、長いものでは2分以上かけてこれらの変化を見せてくれます。

線香花火は、かつて火縄銃にも使われた黒色火薬を紙で包むだけのシンプルな花火。なぜ火花が美しく変化するのか、その理由は温度変化にありました。
火薬の温度が上がると火の玉となって溶け出すのですが、900度を超えると中に溜まったガスが弾け、ドロドロの雫が四方八方に。この状態の火花が牡丹です。
さらに液状化が進むと、サラサラした雫のガスが小ぶりに弾け、松葉や散り菊へと変化していきます。

ベンさんの線香花火は、火花がほとんど変化せず、大きさも広がり方も筒井さんのものと比べると小ぶりな印象。火薬の配合によって大きい火花が出るそうで、一緒に作らせていただくことに。

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その前に気になったものがありました。稲藁の先に火薬をつけた「スボ手牡丹」と呼ばれる花火です。線香花火のルーツで、西日本ではこちらが主流だったそう。

江戸時代の絵には、スボ手牡丹を香炉に立てて遊んだ様子が描かれています。これがお線香のように見えたところから、線香花火と呼ばれるように。その後、紙すき文化が発達していた東日本で、長手牡丹と呼ばれる紙縒り(こより)の線香花火が生まれたといわれています。

ちなみにスボ手牡丹は、斜め上に向けて息を吹きかけ、火花を大きく咲かせるのが定番の遊び方。現在製造しているのは、全国で唯一、筒井さんの会社だけだそう。

いよいよ、線香花火の作り方を教えていただきます。まずは、門外不出の火薬の配合。静電気が火薬に引火すると大事故になるため、体の静電気を取る棒に触れてから工場の中へ。

原料は3つ。ベンさんも使っていた硫黄と硝酸カリウムの他に、松煙を使います。ベンさんはアメリカで、松の木の枝を箱に入れて熱した松炭を使っていましたが、松煙は箱のフタについた煤の方。ニッポンでは松の根を燃やして出た煤が良質とされています。

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松煙は、触るとベタつくほど多くの油を含んでいるのが最大の特徴。油気が多いと、温度上昇が緩やかに。温度が徐々に上がっていくことで、それぞれの名前の火花が出るそう。ベンさんが使っている松炭は温度が急激に上がってしまうため、上手くいかなかったのです。
原料の分量については内緒だと話す筒井さんですが、ベンさんには後ほどこっそり教えてくださるとのこと。

良い火薬を作るのに欠かせないのが、材料を混ぜながら粉末を細かく挽く粉砕機。中で樫の木の球が回転し、球同士がぶつかることで細かくしています。7〜8時間回すと、3つの材料がムラなく混ざり、パウダー状の黒色火薬に。

ここで筒井さんは、一旦紙で巻いて線香花火を作り、火花をチェック。納得いかなければ配合を再度調整します。火薬はできたばかりの時は火花がよく咲かないそうで、熟成が進むことで素材同士が馴染み、より美しい風合いに。1年熟成させると知ったベンさんはびっくり!

ベンさんも火薬を紙で巻かせていただきます。紙が薄く、苦戦しながらもなんとか巻くことができましたが、火をつけても火花が出ません。筒井さんによると、紙の縒(よ)り方がカギとなるそうで、翌日教えていただくことに!

その後は、筒井さんの案内で田んぼへ。実はこの田んぼ、スボ手牡丹の原料となる、良質な稲藁を確保するために購入したそう。線香花火のために稲まで作り始めた筒井さんに「心から尊敬します」とベンさん。

田んぼに付属していた古民家は、リフォームして花火の勉強会や田舎暮らしを体験できる施設に。夜は、こちらでベンさんの歓迎会が開かれ、ご家族や従業員の皆さんと、かまど炊きのご飯や郷土料理の「だご汁」を囲みます。

食後は皆さんと花火を。ベンさんが初めて見たというねずみ花火は、約60年前、アイデアマンだった初代の筒井時正さんが編み出したものだそう。さまざまな花火を楽しんだベンさんは「子どもの頃、アメリカにもこんなにいい花火がたくさんあったら良かったのに」と話しました。

翌日、いよいよ線香花火の仕上げ、紙縒りを教えていただくことに。薄葉紙(うすようし)と呼ばれる透けるほど薄い紙で黒色火薬を包みますが、火薬の量が多すぎると落ちてしまい、少なすぎると大きい火花が出ません。「一番いい火薬の量は0.08グラム」と筒井さん。すり切り一杯で0.08グラムになる専用のサジは、傘の骨を使って自作したもの。

筒井さんによると、火薬を包む時は空気を含まないことが重要だそう。空気が入ると紙が一気に燃焼し、昨日のベンさんのように、火花が出ない原因になってしまいます。

さらに重要なポイントは、線香花火の「首」。800℃の玉を紙一枚で支えなければならないため、首の部分は紙を重ねるようにきつく締め、頑丈に。これが、高温の火の玉を薄紙一枚で支える職人技です。

持ち手の部分は、紙の白い部分が表に出ないよう左手と右手を反対に回して縒っていきます。ベンさんも挑戦しますが、手汗で濡れてしまいました。形になるまでに最低3カ月はかかるそう。

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それでも、筒井さんのものを参考に一人で縒り続けること2時間。ついに筒井さんから合格点が出ました。火をつけてみると、大きな牡丹に松葉も! 火薬が若いため、最後の散り菊こそあまり出ませんでしたが、大きな火花が出るようになりました。

そして、別れの時。「皆さんが何世代にも渡って培ってきた技術や知恵を惜しげもなく教えてくださり、深い感謝の気持ちでいっぱいです」と話すベンさん。お土産にオリジナルの線香花火Tシャツと、秘伝の火薬のレシピもいただき大感激!

筒井さんから「頑張って、良い線香花火を作ってください」と激励の言葉をいただき、最後にハグを交わしました。

あれから4年…ベンさんからのビデオレターを、筒井さんご夫婦の元へ届けます。

ベンさんは、いただいた線香花火Tシャツを着て登場。「ニッポンでお二人に線香花火作りを教わった時間は、私の人生において最高の宝物になりました! あの時の教えを胸に、今も線香花火作りの上達に励んでいます」。

帰国後、2019年に結婚したベンさん。いただいたお土産の中には色違いの線香花火Tシャツも入っていたそうで、奥さんのステファニーさんも大のお気に入りだとか。

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線香花火作りでは、帰国直後に松煙を集めるための巨大な装置を独自に制作していましたが、現在はコンパクト化。アメリカでは松の根を大量に手に入れるのが難しいため、紙にベジタブルオイルを浸し、キャンドルのように燃やしてフタをかぶせ、煤を作っています。
他にも、筒井さんの作業場で目にした粉砕機の代わりに、宝石などを磨く機械を使っています。

さらに、ポータブル線香花火作りセットも自作。友人宅などに持っていき、線香花火の作り方をレクチャーしているとのこと。

ここで、ベジタブルオイルで作った煤の火花を見せてもらうと……しっかり火花が出て、変化しました! 「すごいね。代用品であそこまで本物に近づけるって」と今日子さん。「(線香花火作りを)受け継いでくれて、さらに発展している。今、ベンさんが日本に来て線香花火について話をしたら、すごく対等な関係で話ができると思う」と筒井さん。

他にもベンさんは、大きな挑戦をしていました。実は、アメリカでは花火に対する規則が厳しく、花火の販売や使用が法律で全面禁止の州もあるほど。ニッポンに比べ、アメリカでは「花火は危険なもの」というイメージが定着しているのです。

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ベンさんが暮らすミシガン州でも、私有地以外での花火は禁止。花火作りは認められていますが、他の州への持ち出しは禁止されています。そこでベンさんは、安全に遊べる線香花火を作ろうと考えたそう。

遡ること約1年前。安全な花火を作れないか調べていたベンさんは、炭酸水素カリウムを使った火薬の作り方に関する論文を発見。消火剤に使われる炭酸水素カリウムは燃えづらく、花火作りには適さないように思えますが、ベンさんはこれを使って引火しにくい線香花火、つまり事故が起きにくい、安全な線香花火が作れると考えたのです。

これまで使っていた硝酸カリウムを炭酸水素カリウムに変えた配合を思いついたベンさん。これで危険物の枠からは外れます。どれくらい安全かというと、一般的な線香花火の火薬は火をつけると一瞬で炎が上がるのに対し、炭酸水素カリウムを使った火薬は全く燃え上がりません。ベンさんは、早速この燃えにくい火薬を線香花火に。ところが全く火花が散らず、試行錯誤する日々が続きました。

その間に、アメリカで花火文化を広めるための講演活動も始めたベンさんは、線香花火の作り方をレクチャー。花火文化の発展には、法律に則った安全な線香花火が不可欠だと痛感したそう。さらにこの時、ステファニーさんのお腹には新しい命も。
「生まれてくる子どものためにも、アメリカで線香花火を気軽に遊べるようにしたい」と決意を新たにしたのです。

火花を出すようにするには、煤の量が決め手。ベストな配合を探るべく1年近くも研究を続け、ついに開発に成功! 不燃性の線香花火が出来上がりました。
普通の線香花火はライターで簡単に火がつきますが、開発した不燃性の線香花火はライター程度の火では着火しません。これなら事故が起こりにくく安全です。

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遊ぶ時は、バーナーなどで火をつけます。すると、燃えにくい材料を使いながらも、美しい火花が。「すごいすごい! しっかり温度が上がっている」と筒井さん。牡丹や松葉も出ています。

ベンさんの開発した線香花火に刺激を受けた筒井さん。「これ以上することはないと自分勝手に思ってたんですけど、新たな可能性をベンさんは教えてくれた」と話します。

そしてベンさんから、「私はこの安全な線香花火を、アメリカの子どもたちに広めていきたいと思っています」というメッセージが。9月にはお子さんが生まれる予定だそうで、「いつかニッポンにも連れて行って、本場の花火を見せたいです。筒井さん、その時はよろしくお願いします」と伝えました。

というわけで…後日、遠く離れた絆をもう一度中継で結ぶことに!

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ベンさんのビデオレターに感化された筒井さんは、火薬の研究を始めたそう。そのことを伝えると、「最高の褒め言葉です。筒井さんのもとで学んでから4年経ちますが、私もまだまだ上を目指していますよ」とベンさん。

ここで、親戚や友人たちへプレゼントするために包装した、不燃性線香花火を見せてくれました。紙の色はベンさんが自分で染めたオリジナルで、紙もいろいろな種類を買って試したそう。火をつけるのにコツがいるので、裏面に遊び方の説明文も添えています。

「いつか日本に来た時に、線香花火をまた一緒に作りたいなと思いました。世界の人に線香花火の良さを知ってもらえれば私も嬉しい」と筒井さん。ベンさんは「私にできることは何でも頑張ります。線香花火を教えることが、今、すごく楽しいです」と話します。
最後は「ぜひ今度赤ちゃんと遊びに来てね」「サンキュー」と手を振り合いました。

ベンさんをニッポンにご招待したら、線香花火を安全に進化させ、その素晴らしさをアメリカで広めようとしていました!

ポーランドの日本祭りで出会った、奄美大島で島唄を習いたい大学生


続いて紹介するのは、ポーランドに住む、奄美大島の「島唄」を愛するナタリアさん。

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今回ニッポンに行きたい人を探しに行ったのは、ポーランド。
在ポーランド日本国大使館共催のもと、10年前から行われている日本祭りにやってきました。コロナ禍で中止されていましたが、4年ぶりに開催! ポーランド全土から、開催を待ち侘びたニッポン好きの人々が2万人近くも訪れました。

会場には、今年で4回目となる番組専用の応募ブースを設置。これまで、「弓道」を愛するヘレナさんや、「錦鯉」が大好きなアンナちゃんなど、日本祭りでの出会いがニッポンご招待に繋がりました。
今回も、中山道を徒歩で制覇したい男性やニッポンのボールペンを愛する女性が登場する中、奄美大島の島唄を愛する女性として登場したのが、ナタリアさんです。

奄美大島は鹿児島と沖縄の間にある島で、奄美群島の中で最も大きく、現地の方言で「うしま」と呼ばれています。奄美ブルーといわれるほど海の透明度は高く、2021年に世界自然遺産に登録。そんな美しい島で歌い継がれてきたのが奄美の島唄です。

島唄といえば、31年前に大ヒットしたTHE BOOMの「島唄」で一躍有名に。これがきっかけとなり、沖縄の島唄が日本中に広まりました。
沖縄のイメージが強い島唄ですが、元々は奄美周辺の島々に伝わる独自の唄がルーツとも。これらを「島唄」と呼んだのが始まりといわれています。

そんな奄美の島唄の一番の魅力についてナタリアさんは、「日本民謡や沖縄民謡ではあまり使われない裏声を多用することで、音域を広げ、歌詞に感情を乗せやすくしているんです」と話します。

奄美の島唄には、時代の変化によって内容は変わらないものの、歌詞の言い回しや使われる方言が変わってきたものもあるとか。さらに、裏声にこぶしを織り交ぜた「グイン」と呼ばれる歌唱法や、伴奏として使われる楽器も特徴的だそう。

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使われる楽器は大きく2つ。チヂンと呼ばれる伝統楽器と蛇味線です。クスノキに馬やヤギの皮を貼り付けたチヂンは、島で毎年旧暦のお盆に行われる「八月踊り」などで使われ、祭りには欠かせません。そして蛇味線にはヘビ皮が。裏声に合わせて高い音が出せるよう細い糸が使われ、竹バチで弾いて演奏します。

ナタリアさんが奄美の島唄に出会ったのは3年前。大好きなアニメの挿入歌で使われていたのがきっかけです。以来、時間を見つけては奄美の島唄を聴き続け、その歌声に魅了されているそう。

中でも一番のお気に入りは「おぼくり」と呼ばれる伝統曲。おぼくりとは島の方言で感謝の意味を表す言葉で、新しい土地で職人が建ててくれた家に感謝しながらみんなで祝おうという思いを唄っています。最初の「新屋敷(あらやしき) 好(く)のでぃ」は、新しい家を求めている人を表現しているとか。

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こうした方言に込められた思いを理解するため、日本語を一から学びたいと考えたナタリアさん。2年間アルバイトで学費を貯め、ポーランドで最難関ともいわれるワルシャワ大学に入学。日本語学科で学ぶ傍ら、独学で奄美の方言を勉強しています。

そんなナタリアさんには、憧れの歌い手がいます。奄美群島の加計呂麻島で生まれ育ち、10代にして天才唄者(うたしゃ)と呼ばれた朝崎郁恵さんです。世界の音楽家が憧れる、ニューヨークのカーネギーホールで公演を行うなど、海外でも活躍。伝統を守り続け、その唄声で国内外に感動を届けてきた島唄の第一人者です。

「朝崎さんの唄声は、心に語りかけてくるような、どこか懐かしさを感じられる深みのある島唄。いつかニッポンで朝崎さんの歌声を聴くことが夢なんです」。ちなみに歌がうまい人は声者(くいしゃ)、方言を理解し感情をのせて歌うことができる人を唄者と呼ぶそう。

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ニッポンにはまだ一度も行ったことがないナタリアさん。ポーランドで島唄を学べる場所はなく、朝崎さんの歌を聞きながら練習しているそう。歌われている自然や文化、風習などを肌で感じてみたいと話すナタリアさんは、「奄美大島で島唄を習いたい」と願っています。

そんなナタリアさんをニッポンにご招待! この模様は近日公開します!

月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!

▼10年前から“梅干し”を漬けています!
南米アルゼンチンのラプラタ盆踊り祭りで自慢の“梅干し”を持参しニッポン行きを熱心にアピールしたクララさん。念願叶い2歳の愛娘を連れて初来日生産量日本一の和歌山県へ!創業は江戸時代初期という「山崎屋」で、なんと350年前に漬けた“梅干し”を試食! 果たしてその味とは?
そして「南高梅」の産地・みなべ町で、「寺谷農園」の4代目から梅の収穫や塩漬けの方法を学ぶ。

▼梅干し作りに欠かせない“塩”を学びたい
アルゼンチンでは岩塩で梅を漬けているクララさん。そこで海水塩づくりを学ぶため、沖縄へ! ミネラル豊富な天然の海水塩を作り続ける高江洲さんのもとで、昔ながらの伝統製法を見せてもらう。

▼「南高梅」を極上の梅干しにしたい!
収穫した「南高梅」をどのように極上の梅干しに進化させるのか、その秘密を「岩本食品」で学ぶ。と、かけがえのない絆が!

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