パン作りの修業中にやむなく帰国したギオルギさん...再来日が叶わないワケ&「タミヤ」を愛するディエゴさんの今:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

2023年、番組は放送7年目に突入! 今回は、これまでにご招待した方たちの今をお届けする「ニッポン愛がすごすぎる外国人 忘れられないあの人は今!?スペシャル」をお送りします。

ジョージアでパン屋を開くため、熊本でパン作りを学ぶ

紹介するのは、東欧ジョージアに住む「メロンパン」をこよなく愛するギオルギさん。

nipponikitai_20230116_01.jpg
昭和初期に登場し、マスクメロンの網目模様に似ていることからその名がついたメロンパン。パン生地をクッキー生地で包んだ新しいパンは子どもたちに人気となり、全国に広がりました。

金融関係の仕事をしながら、インターネットで見つけたメロンパンに興味を持ったギオルギさん。ニッポンにはまだ一度も行ったことがなく、メロンパンも食べたことがありません。インターネットの情報を頼りに作っていますが、うまくいかず失敗ばかり。

そんなギオルギさんを4年前、初めてのニッポンにご招待! 真剣にパン作りを学ぶため、長かったヒゲも剃りました。

向かったのは、熊本県荒尾市。メロンパンを1日に6000個も販売する「ふくやまベーカリー」の福山満さんにお世話になります。焼き立てのメロンパンをいただいたギオルギさんは「こんなふわふわなパンは初めてです」と感動!

ギオルギさんがヒゲを剃った理由を知り、その熱意に心を打たれた福山さん。早速、念願のメロンパン作りを教えてくださることに。

nipponikitai_20230116_02.jpg
まずは材料の計量から。特にイーストは1〜2グラムの違いで発酵の具合が変わるとか。「僕は、本当に何も量っていなかったので失敗していたんですね!」とギオルギさん。
さらに、棒で生地を叩くのもポイント。叩くことでしっかり伸縮するグルテンの膜ができ、生地が発酵する時にできる炭酸ガスを受け止め、フワフワの食感を生み出すそう。

1回目の発酵が終わると、すぐさま2回目の発酵。小さく分けて発酵させることで、イースト菌の働きがより活発になります。2回目の発酵が終わると、今度はメロンパンの形に整え、温度と湿度を設定できるホイロへ入れて最後の発酵。フワフワの食感はこれだけの手間をかけなければできないのです。

そしていよいよオーブンへ。福山さんに教えていただきながら、ギオルギさんが作ったメロンパンもきれいに焼き上がりました。

この福山さんとの出会いが、ギオルギさんの人生を大きく変えるきっかけに。パン職人になりたいと思い、福山さんのところで修業したいと伝えたところ、「面倒見ますよ」と嬉しい言葉が。最後に、門外不出のレシピや白衣、メロンパンの型をいただき、別れを告げました。

帰国して3ヵ月。ギオルギさんは秘伝のレシピをジョージア語に訳し、週に1回はメロンパンを作っていました。教わった通りに生地をこね、棒で叩き、毛布などで工夫して温度を保ちながら発酵。すると、以前より膨らませられるように。クッキー生地と土台の生地を合わせ、形を整えてさらに発酵。オーブンで焼くとふっくらきれいに焼き上がっています。

nipponikitai_20230116_03.jpg
将来ジョージアでパン屋を開きたいという夢ができたギオルギさん。その後もメロンパンを作り続け、その数は2年間で6000個に。ギオルギさんはビデオレターで「再びニッポンに戻って『ふくやまベーカリー』に修業に行ってもいいですか?」と福山さんに伝えます。
「自分の知っていることは、全部彼に伝えてやりたい」と福山さん。こうして本格的なパン修業が決定! 2020年3月、2年ぶりに「ふくやまベーカリー」でお世話になることに。

今回の修業期間は、仕事を休んで来日する1ヵ月間。メロンパンをより美味しく作れるようになることと、将来パン屋さんを開くために、多くの種類のパン作りを覚えることが目標です。福山さんが用意してくださった、お店近くの日本風の一軒家で生活しながら修業します。

nipponikitai_20230116_04.jpg
翌朝、午前4時から仕事がスタート。まずは作業の流れを見学します。「ふくやまベーカリー」では、60種類のパンを毎日3000個販売。皆さん、全く手を休めずパンを作り続けていきます。焼き上がると、ギオルギさんもお店に並べ、朝9時にオープン。接客にも挑戦します。

午後1時、初日の仕事が終わり帰宅。ニッポンの生活に早く慣れるため、福山さんの奥さんにいただいたお米を炊くことに。奥さんから焼き魚と豚汁の差し入れもいただき、美味しい夕食に大満足。夜8時には床につきました。

修業2日目。この日は見学をしつつ、福山さんにメロンパン作りを見ていただきますが、まだまだお店に出せる出来ではありません。そこで、仕事終わりに改めてメロンパンの成形を教えていただくことに。

指摘されたのは成形のスピード。福山さんが6秒のところ、ギオルギさんは25秒もかかっていました。パン生地は時間が経つほど発酵が進むため、成形に時間がかかると、中の気泡が破れ、パサパサしたパンになってしまいます。

nipponikitai_20230116_05.jpg
もう1つの問題点は、パン生地とクッキー生地を合わせる時、クッキー生地の厚さが均一にならないこと。福山さんが成形した生地と比べると形がいびつで、焼いてみるとクッキー生地がない部分も。成形のスピードと、生地を均一に合わせることが今後の課題です。

翌日。ギオルギさんはメロンパンの成形の練習。「必ず指先で押す」とクッキー生地を広げるコツを教わりますが、なかなか均一になりません。「これから直していくしかない」。あとは練習あるのみです。

毎日練習を続け、修業を始めてから8日目。最初の頃に比べると生地の被せ方がきれいになり、成形にかかる時間も10秒短縮されました。すると福山さんから「これはもう店に出していい」と嬉しい言葉が!

nipponikitai_20230116_06.jpg
店頭で、無料配布されることになったギオルギさんのメロンパン。初めて自分が作ったパンをお客さんに食べていただき、「美味しい」と褒められます。「嬉しいです。次は完璧に作りたい」。翌日は、あんぱんやクリームパン、ジャムパンの包み方も教わりました。

ところが、修業の折り返し地点にあたる15日目に緊急事態が発生。前日、妊娠中のギオルギさんの奥さんから出産が早まると報告があり、福山さんに伝えたところ、修業を一時中断して帰国することになったのです。ギオルギさん、この日以来、再来日は果たせていません。

そして2ヵ月後。ギオルギさんは福山さんにあてたビデオレターで、長女・マルタちゃんの誕生を報告。この時、ニッポンは1回目の緊急事態宣言下で、ジョージアもコロナウイルスの被害が大きく、様々な規制が。そんな状況でも、福山さんから教わったことを忘れまいと、パン作りに励んでいました。

nipponikitai_20230116_07.jpg
それから1年経った、昨年7月。コロナ禍の状況が続く中、ギオルギさんのパンへの情熱と素質に惚れ込んだ福山さんは、「私が元気なうちにしっかりあの人に教えてやりたい」と再来日を心待ちにしていました。

実は福山さん、2019年に肺がんを患い、密かにがんと闘っていたのです。闘病中も、「ギオルギさんに私のパンを完全に教えるまでは頑張らないといけない」と思っていた福山さん。その後、病に打ち勝ち、以前と変わらずメロンパンを作れるまでに。

福山さんの「私のパンを完全に誰かに残したい」という思いを届けるため、ビデオレターをギオルギさんのもとへ。この時、ギオルギさんは、コロナ感染者が増加傾向にあった首都・トビリシを離れ、奥さんの実家に仮住まい中。メロンパンを作る時は、オーブンがあるトビリシの自宅へ戻っていました。

ビデオレターを観て、福山さんご夫婦の変わらない様子に安心したギオルギさん。自分でも連絡を取りたかったのですが、お子さんが生まれた後、コロナの状況が悪化し、給料も低下。引っ越しなども重なって連絡ができなかったそう。技術があるのだから、パン作りを辞めずに続けてほしいという福山さんの言葉に感動するギオルギさんですが、再来日は果たせず......。

あれから1年半。ギオルギさんによると、福山さんのもとで修業を再開したい気持ちは今も変わらないそう。さらに、福山さんの体調も気になっています。

そこで、遠く離れたギオルギさんと福山さんを中継で結ぶことに!

nipponikitai_20230116_08.jpg
まずは、ギオルギさんが気になっていた福山さんの体調について。体調はいいものの、薬の副作用で小麦粉に触れると湿疹が出るため、現在は従業員の指導に専念しているとのこと。
そして今度は、ギオルギさんが再来日できないワケを語ります。コロナは落ち着いてきましたが、ロシアのウクライナ侵攻で状況は一変。戦火から逃れたロシア人が、ロシアに隣接するジョージアに流入し、国内の不動産価格が一気に高騰。首都・トビリシで借りていた家の家賃が払えなくなり、引っ越しを余儀なくされたそう。加えて、ウクライナのIT企業に勤めているギオルギさんは、国境を越えてジョージアから出社することもままなりません。

さらに、パン作りに必要な材料の価格も高騰し、気軽にパン作りができなくなってしまったとのこと。それを聞いた福山さんは、なんとか日本から粉を送れないか、「手配してみます」と心強い言葉を投げかけます。

福山さんによると、お店には「ギオルギさんのパンが食べたい」と東京から来るお客さんもいるそう。ギオルギさんは「さっき話した問題がなければ、すぐ来日して修業を続けたいです」と熱意を伝えます。福山さんは「元気なうちに全部あなたに教えたいから、できるだけ早く来てください」と呼びかけ、再来日が叶うことを願いました。

憧れていたタミヤの本社で、尊敬する会長や社員と交流

続いて紹介するのは、アルゼンチン在住の、タミヤを愛してやまないディエゴさん。

nipponikitai_20230116_09.jpg
ニッポンを代表する模型メーカー「タミヤ」は、戦後間もなく創業し、1960年にプラモデルの製造を開始。実物を縮小して再現することにこだわり、徹底した取材で精巧かつ組み立てやすいキットで評判に。世界有数の模型メーカーへと成長しました。

6歳で初めてタミヤのプラモデルを作り、「タミヤ」で働くことを夢見て専門学校に通っていたディエゴさん。しかし、家業の後継者だった父親が亡くなると多額の借金が発覚。家族を支えるために学校を辞めて家業を継ぎ、20年近く必死に働いて、ようやく最近借金完済の目処が立ったそう。そんなディエゴさんのただ一つの楽しみが、「タミヤ」のプラモデル。

30年以上かけて集めたプラモデルは200種類ほど。ところが、その9割は手付かずのまま。「未熟な自分が作ることで、『タミヤ』が完璧でなくなってしまうことに気づいたんです」と語るディエゴさんは、いつかニッポンに行って上手な人に教わってから作ろうと決めていました。

nipponikitai_20230116_10.jpg
「タミヤ」が好きすぎるあまり、「タミヤ」の会長・田宮俊作さんの著書も購入。田宮会長は、徹底したものづくりへのこだわりで、「タミヤ」を世界のトップメーカーへと押し上げたレジェンド的存在。ディエゴさんは「俊作さんのおかげで人生の喜びを見つけることができた僕のような人が、世界中にたくさんいるんです」と語ります。

ニッポンに行きたくても行くことができなかったディエゴさん。「タミヤ」への思いが抑えきれず、感謝の気持ちや質問を書いた手紙を「タミヤ」に送ったことも。27年前に初めて返事が来てから、約20通のやりとりがあったそう。

そんなディエゴさんを、ニッポンにご招待! 5年前、念願の初来日を果たしました。

訪れたのは、東京・新橋にある「タミヤ」のオフィシャルショップ。国内に2ヵ所しかなく、プラモデルや工作キットなど6000点のアイテムが揃う、プラモデルファンの聖地です。アルゼンチンでは手に入らない、ダックスホンダの初版モデルを探しにやってきました。

すると、「タミヤ」社員の岡本真一さんが声をかけてくださいました。岡本さんは、来日前にディエゴさんを紹介した「応援団」を観ていたそう。田宮会長も観ていたようで、年始の挨拶にその話が出たと聞き、ディエゴさんは大興奮!

岡本さんによると、初版モデルの販売はしていないとのことでしたが、なんとお店に飾ってあった完成品をプレゼントしてくださいました。「最高の日です。実は今日、僕の誕生日なんですよ」と感激するディエゴさん。さらに名前が刺繍されたオリジナルエプロンまでいただき、ニッポンでの誕生日がかけがえのないものになりました。

続いて向かったのは、静岡県静岡市。静岡は、プラモデルの国内出荷額の8割を占める、模型の都です。「タミヤ」も静岡市に本社を構えており、そこを訪れるのがディエゴさんの一番の願いでした。

6歳で「タミヤ」と出会ってから36年。ついに「タミヤ」本社にやってきたディエゴさんの目に涙が......。

まずは27年前、「タミヤ」に送った手紙に返事をくださった羽根広宣さんに感謝を伝えます。「手紙を大事に保管してくださっていたことに、感謝しかありません」と羽根さん。全てのファンレターに対して返事を送るのは、会長の方針だそう。

次に、本社で一番見てみたかった、金型を作る場所を見学。金型は、材料のプラスチックを流し込み、設計図通りのプラモデルのパーツにする大切なもの。職人の手仕事で金型の表面をなめらかに仕上げ、美しい曲面になるよう、表面を鏡のように磨き上げています。

続いて案内していただいたのは、歴代の製品が展示されている「タミヤ」の歴史館。ディエゴさんは、1980年に発売されたホンダ・モンキーの完成品に目を留めます。モンキーはディエゴさんのおじいさんから形見として譲り受け、今も大切に乗っている思い入れのあるバイク。

そこで特別に、モンキーのパッケージに使われた、イラストの原画を見せていただきました。「タミヤ」では、社内のデザイナーが1ヵ月かけて仕上げています。写真だと、光が当たらないホイールやライトの中が黒く潰れてしまうため、手描きのイラストにこだわっているそう。

nipponikitai_20230116_11.jpg
その後も社内を見学していると、人生で最も会いたかった田宮俊作会長が! 大感激で握手を交わし、田宮会長の誕生日に書いた手紙を読み上げ、「俊作さんは私にとって生きる活力、エンジンのような存在です」と思いを伝えます。田宮会長は、熱烈な手紙に感動。「世界中で一番『タミヤ』の模型を愛してくれる人だなと感じています」と話し、新製品を送るので、作って感想を聞かせてほしいとの言葉もくださいました。

仕事終わり、羽根さんと同僚の方から馴染みの店に誘われたディエゴさん。羽根さんを通じて田宮会長から特別に社章をいただき、静岡おでんを囲んですっかり打ち解けた様子。「タミヤ」では、入社が決まるとプラモデルが送られ、作ってレポートを提出するという話を聞き、自分も「タミヤ」の一員になれたような気分に。嬉しさで涙します。

ディエゴさんには、ニッポンで叶えたいもう一つの夢がありました。それは、プラモデル作りが上手な人に、作り方を教わること。

そこで向かったのは、横浜にある「タミヤ」のオフィシャルショップ。必要な工具を借りて誰でも模型作りが楽しめるアトリエで、講師を務めるプロモデラーの長谷川伸二さんに教えていただきます。

今回は、アルゼンチンから持参したホンダのモンキーを作ります。模型作りを再開するならこれだと決めていたそう。長谷川さんにイチから学びます。腕前はなかなかのようで、初体験のスプレー塗装も「初めてとは思えない」と褒めていただきました。

nipponikitai_20230116_12.jpg
納得がいく完成度を目指し、毎日作業に没頭。京都観光の予定もキャンセルし、熱中すること実に2週間! ついに27年ぶりに作ったプラモデル、モンキーが完成しました。おじいさんから譲り受けたバイクを再現したもので、破れたシートやタンクのへこみも忠実に再現しています。
そして完成したモンキーを、田宮会長にプレゼント。「歴史館に飾りますよ」と言っていただきました。

ディエゴさんは田宮会長に、数年前に会社の業績が悪化した時、生きている意味がないのではと落ち込んだことを話します。そんな時、「タミヤ」のプラモデルを見て、絶対ニッポンに行くのだと踏ん張ったそう。「みんな困難な人生の中でそういう歴史があります。もっと楽しい人生を自分で作ってください」と激励されたディエゴさん。最後に田宮会長とハグを交わしました。

番組史上最長、1ヵ月の滞在を終えて帰国。この1年後の2019年4月、なんとディエゴさんが再びニッポンへ!

今回の目的は、1959年から続く模型の見本市「静岡ホビーショー」。「タミヤ」をはじめ、国内の有名メーカーが一堂に会して新作を発表する、模型ファンにとって憧れのイベントです。「静岡ホビーショー」のためにもう一度ニッポンに行きたいと、がむしゃらに働いたそう。

はやる気持ちを抑えきれず、開催日の2週間以上前に来日したディエゴさん。当日まで、横浜の「タミヤショップ」でプラモデル作りをすることに。そんなディエゴさんのもとに、俳優の石坂浩二さんが!

石坂さんといえば、プラモデル歴は60年以上。老眼世代を中心としたプラモデルクラブ「ろうがんず」を主宰するなど、芸能界きっての模型愛好家です。石坂さんによると、模型愛好家の間でディエゴさんは有名人だそう。実はディエゴさんも、ニッポンで購入した本で石坂さんの作品を見て尊敬していましたが、俳優だとは知らなかったとのこと。

石坂さんは、ディエゴさんが去年作ったモンキーをじっくり鑑賞し、感心。プラモデルを作らずとっておくために買うという、愛好家ならではの話で共感する場面も。

ここで、石坂さんから思いがけない提案が。「静岡ホビーショー」では、世界中から模型クラブが参加する合同作品展を開催していますが、そこに「ろうがんず」の一員としてディエゴさんの作品を出していただけることに!

「静岡ホビーショー」当日。模型の祭典に失礼がないよう、スーツに身を包んだディエゴさん。会場に入ると、番組を観た多くの模型ファンに声をかけられます。

まずは「タミヤ」のブースへ。1年前にお世話になった羽根さんや田宮会長との再会も果たし、いよいよ「ろうがんず」のブースへ。ハイレベルな作品の中に、ディエゴさんのモンキーも展示されます。多くの模型ファンに注目され、「最高の喜びですね」と大感激!

nipponikitai_20230116_13.jpg
丸1日、模型を愛する皆さんと通じ合えたディエゴさん。石坂さんから「タミヤ」の風呂敷としじら織の甚兵衛をいただき、「最高に嬉しい贈り物です」と感謝を伝えました。

あれから2年半、ディエゴさんはどうしているのか? 田宮会長と石坂さん、ディエゴさんを中継でつなぎます。

ディエゴさんが作った近況VTRには、相変わらず「タミヤ」のプラモデルの山が映っていました。一番の宝物は、田宮会長と初めて会った日にいただいた、24分の1スケールのフェラーリ。田宮会長、石坂さんとの写真も同じ部屋に飾っています。

nipponikitai_20230116_14.jpg
田宮会長から、新作のプラモデルがたくさん送られてきましたが、まだ組み立て終えていません。実は、一緒に会社を切り盛りしていた弟さんが転職。ディエゴさんが1人で会社を経営しているため、時間がないのです。さらに、ディエゴさんが住む街にある唯一のプラモデル店がコロナの影響で閉店。塗料が手に入らなくなってしまったたそう。

それでも新製品を送ってくださる田宮会長のために、ランボルギーニ カウンタックLP500SやヤマハYZF-R1Mなど4点を完成。石坂さんは、部品が多く難易度の高いオートバイを上手に作れていることに感心。田宮会長からは「きれいに塗ってありますね」とお褒めの言葉が。

仕事で使う名刺を見せてくれたディエゴさん。そこには、なんと「タミヤ」のプロモーターと書いてあり、「タミヤ」愛に田宮会長と石坂さんはびっくり! この名刺を使っても大丈夫か田宮会長に聞くと、「構わないよ」と快諾してくださいました。

最後にディエゴさんは、「またニッポンに行けるために頑張ってお金を貯めます。その時はよろしくお願いします」とメッセージを送りました。

ディエゴさんの"タミヤ愛"はさらに深まり、再来日への意欲がますます高まっていました!

月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」"そば&日本庭園を愛する外国人"を放送! どうぞお楽しみに!

PICK UP