玉子焼きを愛してやまないモロッコ女性が、東京と京都の名店で作り方の極意を学ぶ:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

続いては、ニッポンのあるものが好きすぎて来日し、そのまま住むことを決意した外国の方を応援する「ニッポン住んじゃった人応援団」。

紹介するのはニッポンに住んで13年、ギリシャ出身のパッパスさん。

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実はパッパスさん、オリンピックでメダルを獲得した日本人選手を陰で支えた人物。そんなパッパスさんが愛してやまないのが、「ウエサカ」のバーベルです。

1929年、東京・墨田区に鉄工所として創業した「ウエサカ」は、戦後に公園の遊具や運動器具を作っていた頃、日本ウエイトリフティング協会から依頼を受けてバーベルの製造を開始。1964年、品質が評価され、「東京オリンピック」で公式バーベルに採用されました。
当時、三宅義信さんが日本ウエイトリフティング史上初となる金メダルを獲得。以来、6度のオリンピック大会でウエサカのバーベルが使われました。

現在は競技用だけでなく、川崎フロンターレなどプロスポーツのトレーニング施設もサポート。さらに海外でも、高品質な「ウエサカ」の製品を取り入れたトレーニング施設が増加しています。世界のアスリートたちから絶大な支持を得ている「ウエサカ」のバーベル。そこには、ニッポンが誇るモノづくりの技術力が込められていました。

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パッパスさんによると、「ウエサカ」のバーベルはニッポンの材料で作られ、細かい部品もニッポンで作っているそう。さらに、「バーベル持つ時にすごい気持ちいい」と熱弁。グリップ(握る部分)を外国のメーカーと比べてみると、溝の細かさが違っています。

実は20歳の時、ギリシャの重量挙げの全国大会で銀メダルを獲得したこともあるパッパスさん。競技を始めた時は別のメーカーのバーベルを使っていましたが、コーチの勧めで「ウエサカ」製に変更。すると、どんどん選手として成績が良くなっていったそう。

そんなパッパスさんは、「ウエサカ」のバーベルが好きすぎるあまり、「ウエサカ」の従業員に! 埼玉県越谷市にある工場で働いています。きっかけは、2004年の「アテネオリンピック」。当時パッパスさんは重量挙げのボランティアスタッフとして、社長の上坂忠正さんは自社のバーベルが公式採用されたこともあり、責任者として同じ競技会場にいました。

ボランティアの仕事を終えたパッパスさんは、試合後、社長がバーベルにロゴのシールを貼っている姿を目撃します。選手が持ち上げた後、高いところから一気に落とす際に剥がれてしまうので、試合後に毎晩一人で貼り直していたそう。

社長の姿を見て、パッパスさんは「手伝いましょうか?」と声をかけます。初対面でお手伝いを申し出たパッパスさんに、社長は「なんて親切な青年なんだ」と感動。連日深夜まで二人で作業しました。

その後も大会期間中、手伝いを買って出たパッパスさん。大会が終わった後、社長から「ニッポンに来たら教えてね」と連絡先を教えてもらったそうで、翌年、来日した際、社長に電話すると、突然の連絡に驚きながらも食事などに招待してくれたとか。

元々ニッポンに興味を持っていたパッパスさんは、さらにニッポンが大好きになり、お金を貯めて何度も来日。2009年、ニッポンへの移住を決意したのです。しかし、当時は挨拶程度の日本語しかできず、ファストフードのアルバイトで生計を立てていました。

そんな中、社長から「今、仕事は何をしていますか?」という電話が。ファストフード店で働いていることを告げると、「ウエサカ」の工場で働かないかと誘われ、パッパスさんは喜んで承諾。2010年に入社し、すぐに現場で欠かせない存在になったそう。

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普段から重いものを持つのに慣れている「ウエサカ」の皆さんですが、パッパスさんはその倍の重さでも平気で持ち上げてしまいます。70kgもあるダンベル入りの箱を持ち上げようと苦戦している人がいれば、「大丈夫ですか? 持ちますよ!」と持ち前のパワーをフル回転!

入社して12年が経ち、今は工場長を任されるまでに。製造スケジュールの管理や海外からの注文に対応しています。
ここで、世界一のクオリティと支持されている、ニッポンの技術力が詰まった製造工程を特別に見せていただくことに。

まずはバーベルのプレート部分。中心に使うのは400kgほどの鉄柱で、製鉄所で国産の鋼などを混ぜて作られた特注品です。この鉄柱を、バンドソーという機械でゆっくり切断。断面が滑らかになり、仕上がりが良くなるとか。

続いて、バーベルを持ち上げる際に握るバー。職人が1本1本、手作業で作っています。作られたバーは微妙に歪んでいるそうで、巨大なハンマーを使い、職人の手で微調整して真っ直ぐにします。

次はグリップの部分の加工ですが……特殊加工を施す機械は、職人が試行錯誤して作ったオリジナルで完全社外秘。「ウエサカ」のバーベルは、職人の手で時間をかけて作られているのです。

他にも、パッパスさんはお客さんから新しいジムの図面をもらい、最適なバーベルの配置などを3D化。トータルデザインを提案する仕事もしています。2021年の「東京オリンピック」では、ウエイトリフティング競技のスーパーバイザーとして参加。競技会場のデザインや大会運営など、さまざまな仕事に携わったそう。

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「ウエサカ」の入社と同じ時期に結婚したパッパスさん。家族の応援を受け、ニッポンで大好きなバーベル会社の工場長として日々頑張っています。100年近くハイクオリティな製品を作っている「ウエサカ」への思いについて、「クオリティが一番。だからこのままずっと続けたいんですよね。職人の力も合わせていいものを作れるように」と語ります。

とここで、応援サプライズ! 仕事中のパッパスさんを、ウエイトリフティングのメダリスト・三宅宏実さんが訪ねました。オリンピックに5大会連続出場、ロンドンで銀メダル、リオデジャネイロで銅メダルを獲得した、日本女子ウエイトリフティング界のレジェンド。「東京オリンピック」後に現役を引退し、現在は所属チームのコーチとして後進の育成に努めています。

三宅さんは、現役時代から「ウエサカ」のバーベルを使用。バーベル作りに携わっているパッパスさんに感謝を伝えたいと、内緒で工場にやってきました。

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2004年の「アテネオリンピック」以来、旧知の仲だというニ人。最後に会ったのは「東京オリンピック」だそう。そんな三宅さんは現役時代、競技会場でパッパスさんにお世話になったとか。

三宅さんは、大会で不安なこともある中、明るいパッパスさんと会話することで「難しく考えずとも大丈夫」と思えたのだと話します。「私にとってはアゲてくれる人」という三宅さんの言葉に、「嬉しい」と返すパッパスさん。「ウエサカ」のバーベルについても、「精巧に作られていて、握った感触がフィットする。世界でもナンバー1」と絶賛します!

最後に三宅さんは、「国内、国際大会でお会いした際はいつも体調のことを気にかけてくださり『調子はどう? 宏実なら大丈夫だよ!』『私は毎日忙しいよ!』と明るく陽気なお人柄に元気をいただいておりました。本当にありがとうございます」と、パッパスさんに宛てた手紙を読み上げます。そして、「ウエサカ」のバーベルの素晴らしさが世界中に伝わるようにと締めくくりました。

「オリンピアンに手紙を書いてもらえて嬉しい」と喜ぶパッパスさん。三宅さんも、パッパスさんからもらった元気を、選手に還元したいと語りました。

高品質なニッポンのバーベルを、もっと世界へ広めたいとパッパスさん。これからも、頑張ってください!

月曜夜8時からは、ゲストに桜井日奈子奥野壮を迎えて、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」“感謝のビデオレターが届いちゃいました!”を放送!

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