ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。
今回は、「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃった! スペシャル」をお送りします。
この道58年! 最中の皮だけを作る職人の、圧巻の技に感動
紹介するのは、イタリア・ミラノに住む、「最中」をこよなく愛するジャンパオロさん。
最中という名前は、平安時代の歌人で三十六歌仙のひとり、源順(みなもとのしたごう)が詠んだ和歌に由来しています。丸い餅菓子を、中秋の名月(十五夜)を意味する最中と表現したそう。江戸時代中期に江戸・吉原の煎餅屋がこの話にちなみ「最中の月」という菓子を考案。当初はもち米を焼いて砂糖をまぶした最中の皮だけのお菓子でしたが、中に餡を挟むようになり、現在の最中が誕生しました。
ジャンパオロさんは、10年来の親友であるマルコさんと最中ジェラートを作っています。2014年に金沢を旅行したマルコさんが、お土産でジャンパオロさんに最中を渡したのがすべての始まり。ジャンパオロさんはニッポンへはまだ一度も行ったことがありませんが、本などで最中について勉強し、皮がもち米からできていることに注目。グルテンフリーの最中をジェラートに応用すれば絶対に当たると信じ、2年前に移動式屋台をオープンしました。
お手製のジェラートは抹茶や黒ゴマなど和風を中心に4種類。公園やイベント会場を中心に売り歩き、夏は1日1000個売れるそう。しかし2人にはある悩みが。ニッポンから取り寄せている最中の皮を自分たちで作ろうとチャレンジしていますが、餅のようになってしまい上手くいきません。独学では限界があるため、ニッポンで皮作りを学びたいそう。
そんな2人をニッポンにご招待! ところが、マルコさんは2日前に子どもが生まれたばかりで、奥さんと子どもの面倒をみるためイタリアに残ることに。こうして5年前、ジャンパオロさんが念願の初来日を果たしました!
向かったのは東京にある創業135年を超える老舗「芝神明榮太棲」。120年前に考案された、一口サイズの「江の嶋最中」をいただきます。
本物の最中を堪能し、続いて向かったのは群馬県高崎市。最中の皮だけを手作りする、伊藤さんご夫婦にお世話になります。三代目の伊藤隆夫さんは、最中の皮を作り続けて58年。数々の老舗和菓子店に出荷しています。
朝5時。早速作るところを見せていただくことに。まずはもち米粉で餅を作ります。あえて粉を使うことで、口どけが良くなるそう。この粉をお湯でまとまる程度にこね、せいろで蒸します。蒸すことで粉が水分を吸い、餅になるのです。4升(約6kg)のもち米粉を最中にするのは1日仕事。夫婦2人で朝5時から仕込まないと終わらないそう。
15分後、餅が蒸し上がりました。ここに水飴を加えることで、焼き上げた時の香ばしい香りと、最中特有の美しいキツネ色が生まれます。餅と水飴を機械で混ぜ、出来上がったら時間との勝負! 冷めると固まってしまうので、およそ70度の餅を台の上で一気に伸ばしていきます。
熱さに耐えながら素早く餅を伸ばす姿を見て、「信じられないスピードです」と驚くジャンパオロさん。焼く時にムラができないよう、熟練の技で厚みを均等にしながら約5mmまで伸ばします。わずか5分で畳一畳ほどに! 伸ばし終えた餅は、型に入れやすい大きさにするため帯状に切り分けます。一連の作業を2回繰り返し、下準備が完了。
この生地でできる最中は1200組ほど。最中の皮は2枚で1組。1日のうちに2400枚すべてを手作業で焼き上げます。最中の皮は、つき立ての餅を使わないと風味や食感が落ちてしまうそう。限られた時間で餅を作るには、ご夫婦の連携プレーが肝心なのです。
朝8時、いよいよ焼きの作業に。使うのは、先代の頃から愛用している鉄製の型。最盛期にはこの型が100個もあり、和菓子屋によって使い分けていたとか。まずは餅を5cmほどの短冊状に切り、型の中へ。型の中で熱が加わった餅は水分が膨張して膨らみ、型に押し付けられることできれいな最中の皮が焼き上がります。
焼き台の左端から餅が入った型を入れ、時間差で右へとずらしていきます。焼き加減が異なる4つの型を同時にさばくのは、難しい手仕事。音や香りだけを頼りに、職人の勘で焦げる寸前の最高の状態を見極めます。真夏ともなれば室内は40度に! それでも重さ5kgの型を振るい、1日8時間焼き続けます。
焼き上がれば200度の型からまたも熱さに耐えながら素手で皮を剥がし、最中の皮が完成! 圧巻の焼き技を目の当たりにし、「ずっとこの技術を残してほしいです」とジャンパオロさん。
焼き立ての皮を味見させていただくと......「こんなにいい香りでパリパリしている皮は食べたことがありません」と、あまりの美味しさに手が止まりません。すると伊藤さんの奥さんが、手作りの餡子を詰めてくださいました。これまた「最高です」と大絶賛!
午前11時半、やっと伊藤さんの仕事も一段落。ジャンパオロさんは「今日は本当に嬉しかったです。こちらでの経験をイタリアで待っているマルコにも伝え、必ず最中を広めていきます!」と感謝を伝えます。
先代から受け継いだ技を半世紀以上守り続けてきた伊藤さんご夫婦ですが、後継者はおらず、伊藤さんの代で最後。「最中の皮作りはニッポンの文化にとってとても大切なものだと思います。ぜひともお2人で末永く続けてください」という言葉に、伊藤さんは「嬉しいです。できるだけ続けていきたいと思います」と話してくださいました。
あれから5年。伊藤さんは今も元気で最中の皮を作っています。伊藤さんは、ジャンパオロさんが美味しそうに皮を食べていたのが印象深かったそう。放送を観た同級生からハガキがきて嬉しかったと話します。
一方のジャンパオロさんは、コロナの影響で最中ジェラートの販売を一時中断。現在は保険会社の社員に。来日できなかったマルコさんは経営コンサルタントをしています。コロナが収束したら、また2人で販売を再開したいと話します。
ジャンパオロさんをニッポンにご招待したら、最中への愛は変わらず、コロナが収まるのを待ち、再び最中ジェラートを売り出すことを夢見ていました!