2020年8月、94年にもわたる歴史に幕を下ろした遊園地・としまえん。最終日には、ファンが多数駆けつけて閉園を惜しみました。多くの人々に思い出を残した、としまえんにまつわる意外な秘密をご紹介します。
秘密① “初めて”に挑戦し続けた遊園地
としまえんの開園は1926(大正15)年。当初は遊戯施設はなく、鯉が泳ぐ大きな池で、人々はボートを楽しんでいたそうです。
その後、当時では珍しい遊具やプールを開設し、常に話題を集めてきました。
1951(昭和26)年には日本初のモノレール「空飛ぶ電車」、昭和初期にはやはり日本初となる常設「ウォーターシュート」を設置しました。ウォーターシュートは、お客さんをのせたボートが、高所から水面に向かって急斜面を一気に滑り落ちる、スリル満点の遊具。ボートの先端に立つ船頭が、着水と同時に船上でジャンプを披露して、お客さんを楽しませることもあったそうです。

夏にオープンするプールも大人気でした。1965(昭和40)年には世界初の「流れるプール」をオープン。
日本初の大型ウォータースライダー「ハイドロポリス」では、常連のお客さんによる同好会まで結成。急なすべり台からすべり落ちたあと、座位の姿勢のまま水上をおしりで滑るパフォーマンスを披露していました。

同好会には60代の方もおり、年齢や職業はさまざま。メンバーの男性は「ここに来た時だけ“ヒーロー”になれる。子どもたちが拍手をしてくれるなんて(普段は)絶対ない」と思い出を振り返ります。
秘密② としまえんは、豊島区にはない!?
そんなとしまえんがあるのは豊島区ではなく、練馬区です。なぜ、としまえんという名前になったのでしょうか?

実はとしまえんは、かつて豪族・豊島氏の居城「練馬城」があった場所です。豊島氏は、平安から室町時代にかけ、現在の練馬区・北区を中心に広大な地域を支配。鎌倉幕府の征夷大将軍・源頼朝からも信頼が厚かったといいます。
城跡が1926(大正15)年に一般開放された際、豊島氏にあやかり「としまえん」の名が付けられました。

長い歴史を重ねた場所に設立されたとしまえん。
1978年からは練馬区の成人式が開催され、人生の節目を迎える場所にもなり、たくさんの人々に愛されてきました。

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