昔の日本には、馬がいなかった!?
木曽山脈の麓に位置する長野県木曽郡は、古くから「木曽馬」の産地。木曽馬は、平均体高133cmと中型の「在来馬」です。

かつては木材の運搬を担うなど、労働力として重宝されました。
しかし、古墳時代より以前の日本には馬がいなかったといいます。一体どういうことなのでしょうか?
日本の馬は、どこから来たのか?
4世紀後半、朝鮮半島が4つの国に分かれていた動乱の時代。日本のヤマト王権は、百済と同盟を結び、高句麗と戦うために半島へ出兵しました。

戦場で日本の人々が目にしたのは、高句麗の騎馬軍団。
圧倒的な攻撃力と移動手段としての有用性を目の当たりにして、カルチャーショックを受けたのではないかと推測されています。

そこで、東アジアで諸国と渡り合うため、大陸系の馬を朝鮮半島を経て連れて来たのが、日本の馬の始まりといわれています。飼育や調教を担う職人集団もやって来て、馬の国産化が進められました。
その頃の遺跡から、馬に関する遺物が発見され始め、大規模な馬の生産がスタートしたことを裏付けています。
木曽馬の産地・長野県でも「装飾馬具」や馬の口に含ませる「轡(くつわ)」等が見つかりました。

当時の馬は、今でいう乗用車であり、トラックであり、戦車。人々にとって「万能」の存在で、馬をどのくらい所有しているかによって権力の大きさが決まったといいます。
馬の生産は、次の奈良時代にはさらに発展を遂げました。古墳時代に日本に初めてやって来た馬は、時代とともに役割を変えながら、日本人に親しまれ続けています。

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