三池監督「僕にとって唯一の観客が、荒木先生でした」【映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』インタビュー】

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三池監督「僕にとって唯一の観客が、荒木先生でした」【映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』インタビュー】
三池監督「僕にとって唯一の観客が、荒木先生でした」【映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』インタビュー】

映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』の見放題独占配信が2018年9月5日(水)よりParaviにてスタートする。配信開始に先駆け、メガホンをとった三池崇史監督にインタビュー。天才・荒木飛呂彦による世界的大ヒットコミックに、どのように向き合ったのか。三池監督が作品にこめた想いを聞いた。

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ダイジェストではなく、あの密度をしっかり映画にしようと思った

――作品を拝見して、まず非常に興味深く思ったのが、実写化した分量です。119分の上映時間に対し、今回実写化したのは4部開始から虹村兄弟篇まで。単行本で言えば約2巻分のボリュームです。以前、三池監督が別のインタビューで、「コミックを映画にする場合、3~4巻程度が一般的」とおっしゃっていたのを読んだことがあるのですが、今回の映画化で敢えて虹村兄弟篇までにとどめたのは、どういった意図があったのでしょうか。

荒木先生の漫画は、他の漫画と比べても非常に特殊なんですね。何が違うのかと言うと、ひとつはテンポ感。連載漫画によくある、ひとつのネタをどこまで引っ張れるかという冗長さがまるでない。非常にテンポが速いんです。

そしてもうひとつは、情報量。原作を読んだときに思ったんですよ。これは"絵のついた小説"なんだな、と。それぐらい文字情報が多いんです。だから1ページあたりの情報量が濃密で、他の漫画と比べても読むのに時間がかかる。この密度で、他の漫画と同様に3~4巻程度のボリュームを映画化しようとしたら、どうしたってダイジェスト的になりかねない。

『ジョジョの奇妙な冒険』はもちろん絵も個性的ですが、一番の個性はスピード感です。これだけ多くの人に愛されているのも、描かれている密度の違いに秘密があるんじゃないだろうか、と。だったら、ダイジェストにするんじゃなくて、この密度の濃い原作をしっかり映画にしようと考えました。

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――確かに映画を拝見したら、かなりじっくりと時間をかけてひとつひとつの場面やエピソードを描写しているように感じました。

そこは、映画館に来る観客の層を意識したところでもあります。もちろん原作ファンの方たちにも楽しんでもらわなければいけないでしょうが、今時デートでこの映画を観に来る層――つまり、山崎(賢人)くんと同世代の観客と、熱心な原作読者とではひとまわり以上世代差があるわけです。前者の観客にとって、『ジョジョの奇妙な冒険』はもはや古典の名作。ビジュアルは知っているけれど、詳しい内容を知らない人たちが大半です。

そういう方が観ることを考えたら、駆け足でいろんなエピソードを消化するよりも、これぐらいのスピード感の方がキャラクターや世界観を理解する上でもちょうどいいだろう、と。何せ原作がすごい魅力を持っているわけですから、それをイチからきちんとなぞるようにつくっていった方が、僕としても楽しいなと思ったんです。

――なぞるという言葉が出ましたが、原作の台詞をそのまま使っているところも多かった印象です。

その点については何か深く考えたというよりも、自分にとってはそれが当たり前という感覚でした。僕と荒木先生は同世代。子どもの頃に読んできた漫画がほぼ同じというか。わかりやすく言うと"梶原一騎の残り香を通過してきた"世代です。だから荒木先生の使う言葉に何か同じ匂いを感じるんですよ。言い回しは決してそんなにオシャレではなくて。それゆえに簡単には流れないというか、まるで石のようにゴツッとそこに残り続ける。それをわかりやすく今の言葉に変換することもできたでしょうけど、それなら『ジョジョ』じゃなくてもいいだろう、と。

第一、半端な出力じゃ荒木先生の言葉にはかなわない。芥川龍之介の小説をすべて読みやすく現代用語に直したところで、そんなの何の意味もないし読みたくないじゃないですか。それと同じです。原作をまるごと真空パックにして、それを映画館で開いてみる。そんな感覚で映画化に取り組みました。

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「スタンドは出さない方がいい」という言葉に込められた荒木先生の真意

――映画づくりに向けて荒木先生とはどんなお話をされましたか?

最初にいろいろお話をしているときに、荒木先生がポツリと「スタンドを出さない方がいいんじゃないか」とおっしゃったんですよ。

――それは大胆なアイデアですね。

普通の発想だと、スタンドの戦いなんて一番派手で見栄えのするところ。実写化の肝となる部分です。でもきっとそれだと荒木先生の頭の中では当たり前すぎてつまらなかったんでしょうね。もちろん実際にスタンドが何も出てこないというわけにはいかないんですけど、荒木先生としてはそれぐらい「もっと映画的な表現を目指してほしい」という期待を込めて、そうおっしゃったんだと思います。

――お話を聞いていると、荒木先生は非常に映画チームに裁量を委ねてくださるタイプの方なんですね。

そうですね。やはり荒木先生もものをつくり出す側の人間ですから、つくり手のジレンマやストレスはよくわかるんでしょう。だからこそ何か口を出すことで、僕たちのチャレンジを邪魔したくないという想いがあったんじゃないですかね。

あるいはもっとクールに言うなら、ダメなやつには何を言ってもダメだとわかっていたんでしょう。いくら口を出したところで良くなることなんて微々たるものです。だったら勘違いでもいいから、つくり手たちが自分の信じたものを楽しんでつくってくれたらいい、と。そういうふうに思われての発言だったんじゃないかと僕は解釈しています。

僕がいつも原作のある作品を映画にするときに決めていることはとても明確で、他の人たちが何を言おうと、生みの親である原作者の方が映画を観て「楽しかった」「映画にしてもらって良かった」と思ってもらえるものを目指そう、と。ただそれだけなんですよ。

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――『ジョジョ』で言えば、荒木先生ですね。

そうです。荒木先生が唯一の観客です。対象が無闇に広がっても、ムニャムニャしたものしかつくれない。であれば、僕が目指すのは、荒木先生ただひとり。プロデューサーも出資者も関係ない。

僕は映画監督には作家性なんて必要ないと思っているんですよ。そんなものにこだわるから、多くの人は「自分はこういう監督なんだ」っていう主張に潰されていっちゃう。作家性なんてものを取っ払えば、どんな仕事だってありますよ。

それこそ隣の家の子の運動会を撮るのだって、立派な作品です。むしろその家族にとっては、感動という意味では遥かに大きい。撮られた子はきっと孫の代まで見せるでしょうし。

――一生モノの宝物ですよね。

僕は原作ものの映画を撮るとき、自分の撮った作品が原作者にとってそういうものになればいいなと思っているんですよ。「昔、『ジョジョ』を映画にしたやつらがいてさ。変なやつらなんだけど、でもここのシーンのここが好きなんだよ」と振り返ってもらえるものになれたらいい。それとヒット作であるかどうかは関係のない話なんです。

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――実際に映画を観て荒木先生はなんとおっしゃっていましたか?

第一声は「いやいや~、すごいですね~」と。やっぱり見るべき点が違うんですね。荒木先生がいちばん面白がっていたのは、音でした。いくらゴゴゴゴゴと書いても、漫画で音は出せないじゃないですか。でも映画なら体感できる。そこをすごく面白がっていましたね。

――それこそ、『ジョジョ』ならではの特殊な効果音を再現する上ではどんなことを意識されたんですか?

そこについては素直に荒木先生に聞きました。「このゴゴゴゴゴって何ですか」と。そしたら荒木先生は「映画でよくあるじゃないですか、ゴゴゴゴゴって。あれですよ」とおっしゃって(笑)。

こうした音響効果というのは難しくて、みんな何となくイメージはあるけれど、これが正解というものは決まっていないんです。ですから僕たちとしても「人の魂を不安にさせる重低音って何だ?」と手探り状態。音のレベルも一気にドンッと跳ね上がるのか、ゆっくり地を這うように上がっていくのかで受ける印象はまるで違う。そこは音響効果のスペシャリストたちといろいろ試しながらつくっていきました。

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山崎賢人は東方仗助に憧れではなく、自分と近いものを感じていた

――あと、やはり伺いたいのは主演の山崎賢人さんについてです。今や山崎さんは若き演技派としてどんどん評価を上げていますが、当時は線の細い爽やかな王子様的印象が強く、東方仗助とは真逆のイメージでした。なぜ山崎さんを仗助にと考えたんでしょうか?

僕はキャスティングにおいて、既存のイメージというのはあんまり参考にしないんですよ。唯一基準があるとすれば、そもそも"役者をやっていこう"という気骨があるかどうか。この時代に役者をやろうとする人間で仗助の気持ちがわからないというのはありえないわけです。なぜなら役者をやろうなんて人間は、そもそもがアウトローだから。

今の若い俳優は「いい子」を演じさせられることが多いわけですが、本来がアウトローな人間ですから、どこかでストレスはたまっているんですよ。売れれば売れるほど、どんどん毒のない役ばかり振られるわけでしょう。でも誰もそんな役だけをやるために役者になったわけじゃない。爽やかな役をやっているやつほど、どこかにたまっているエネルギーがあるはずなんです。

特に今は何かあればすぐ炎上する社会。普段から「いい子」にしていないと、すぐ批判が飛んでくる。そのストレスは、別に役者に限ったことではなく、今の時代を生きるすべての人が何かしら抱えていると思いますよ。でも役者たちは役の中でならそのストレスを発散できる。なぜなら、何をしたって、それはすべて役の中の話ですから。

――「いい子」の看板を下ろす大義名分ができるわけですね。

そう。そういうエネルギーって何もないところからつくるのは難しいんですけど、若い役者たちはもともとみんなそれを持っているわけですから、あとはそれを吐き出さないと太刀打ちできない状況をこっちがつくってやればいい。そしたら勝手に走り出していきますよ。

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――実際に山崎くんが仗助を演じる姿を見て何か感じたことはありますか?

彼は仗助のことが好きなんだな、と。それは強く感じました。優しいところもあるし、不器用なとこもある。一見すると全然タイプは違うように見えるんだけど、きっと近いものを感じているんじゃないですか。仗助に憧れているというよりも、何か理解し合っているような感じでした。

そうでないと、あの髪型は成立しないですよね。あの髪型を完成させるまで結構時間がかかったんですけど、角度がどうだとか調整している過程で、彼自身が内側から東方仗助という役に自分をフィットさせていっているような、そういう印象はありましたね。だから衣裳合わせも全部すんで、撮影初日の日にあの衣裳を着て現場に立ったときにはもう彼の中で東方仗助という人間像が完成していた。役を自分のものにしていく能力に関しては非常に優れていると感じましたね。

――山崎さんとの印象的な想い出があれば聞かせてください。

それこそ荒木先生に試写をご覧いただいた日のことですけど、僕の横に山崎賢人がいたんですね。で、僕たちの前に荒木先生がいて。主演俳優としては、こんなに神経を削る場はないですよ。原作者がいて、監督もいて、あと問われるのは自分なんですから。他がどんなに良くたって「東方仗助は山崎賢人じゃないよね」と言われたら全部パーになる。そんなプレッシャーのかかる状況で、彼も彼なりに緊張していたようですけど、上映が終わって荒木先生が「いいね」とおっしゃるのを聞いて、随分ほっとしたみたいです。

――そのときの山崎さんはどんな表情をされていましたか?

ただでさえ爽やかな顔がね、さらに爽やかな顔をして嬉しそうにするんで、ちょっとイラッとしました(笑)。「やっぱりもっと泣かせてやれば良かったな」と思いましたね(笑)。

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三池崇史監督プロフィール

1960年生まれ、大阪府八尾市出身。あらゆるジャンルに精力的に取り組み、常に刺激的な作品を送り出している。海外でも高く評価されており、『十三人の刺客』(10)はヴェネチア国際映画祭、『一命』(11)と『藁の盾』(13)がカンヌ国際映画祭に、それぞれ出品された。主な作品は『殺し屋1』(01)、『着信アリ』(04)、『クローズZERO』シリーズ(07/09)、『悪の教典』(12)、『土竜の唄』シリーズ(14/16)、『無限の住人』(17)、『ラプラスの魔女』(18)など。

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※山崎賢人の「崎」は「大」の部分が「立」が正式表記

(C)2017 映画「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」製作委員会
(C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
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