平成の時代が終わりを迎えようとしている。
そのせいだろうか。2018年、著名人の訃報に接する度に、何か一つの時代が終わるかのような喪失感に見舞われた。
1月に星野仙一さんが亡くなられた時は、平成のプロ野球界をけん引した精神的支柱を失ったように感じた。8月の漫画家のさくらももこさんの訃報を扱うニュースの大きさに、改めて「ちびまる子ちゃん」が平成の国民的アニメであることを痛感した。
それは、役者の世界でも同様だった。大杉漣さん、加藤剛さん、津川雅彦さん、そして――樹木希林さん等々。2018年は、例年にも増して多くの名優たちの訃報に接した感がある。やはり、一つの時代の終焉なのだろうか。
だが、役者という職業には、否が応でも付きまとう宿命がある。それは、本人が亡くなられてもなお、作品は永遠に残ること。作品の中で彼らは生き続け、僕らはその気になれば、いつだって彼らと再会できる。
そこで、本コラムでは、2018年に旅立たれた名優たちを偲びつつ、彼らが遺した代表作を振り返ることで、改めて哀悼の意を表したいと思う。
熱血教師とクールガイ――2つの顔を演じた夏木陽介
まずは、この人物の話から始めたい。1月に81歳で亡くなられた夏木陽介さんである。
夏木さんと言えば、主人公の熱血教師・野々村健介を演じた元祖・学園ドラマ『青春とはなんだ』(1965年~1966年/日本テレビ系)を抜きには語れない。新任の型破りな熱血教師、受け持つクラスは落ちこぼれの吹き溜まり、同僚のマドンナ教師、人のいい校長、陰湿な教頭とその太鼓持ち、廃部寸前の運動部、献身的なマネージャー、スポーツを通じて更生される生徒たち――現代にいたる学園ドラマの王道パターンは、全て同ドラマが生み出したと言っても過言ではない。
原作は、石原慎太郎の同名小説。当時の石原さんは政治家になる前で、既存の体制や伝統的な価値観に反発するヤンチャな青年作家。主人公・野々村は、いわば若き石原さん自身だった。もっとも、その小説もキャラクター造形は明らかに夏目漱石の『坊っちゃん』をオマージュしており、そうなると今日の学園ドラマの源流は漱石までさかのぼる。そう、優れたドラマは旧作へのリスペクトから生まれる――。
そして夏木さんを語る上で、長く土曜の夜を飾った、あの刑事ドラマも忘れられない。『Gメン'75』(1975年~1982年/TBS系)である。演じた役は警視庁一の切れ者クールガイ・小田切憲。オープニングで夏木さんも、滑走路を横一列に並んで歩いているので、Gメンのメンバーと誤解されがちだが、彼のポジションは警視庁とGメンを繋ぐパイプ役。丹波哲郎演ずる黒木哲也とは同じ警視で、唯一黒木に意見ができるインテリだった。
若い時は熱血教師、40代に差し掛かると知的なクールガイと、年齢に応じて、演じる役も磨きがかかった夏木陽介さん。晩年はラリーのドライバーや監督としても精力的に活動した。終生貫かれたダンディズムに、改めてご冥福をお祈りします。
生涯バイプレイヤーとして生きた大杉漣
それは、あまりに突然の訃報だった。
2月21日未明、ドラマ『バイプレイヤーズ』(テレビ東京系)のロケに参加していた大杉漣さんが、宿泊先のホテルで突然倒れ、救急搬送されて集中治療を受けるも、そのまま帰らぬ人となった。享年66。ご家族を始め、松重豊さんらドラマ関係者に見守られる中で、息を引き取ったという。
ドラマは存続が危ぶまれたが、ご遺族や共演者らの強い希望もあり、脚本を一部修正することで、最終回までこぎ着けた。ラストシーンは砂浜で共演者の松重豊さん、田口トモロヲさん、遠藤憲一さん、光石研さんが揃って「漣さん、ありがとう!」と発するサプライズ。業界内外からその早すぎる死を悼む多くのコメントが寄せられたのは、ひとえに大杉漣さんの人柄と役者魂の賜物だろう。
大杉さんの役者人生の前半は、下積み生活が長く、苦労の連続だったという。舞台を始め、多くのピンク映画やVシネマに出演して、日銭を稼ぐ日々だったとか。転機が訪れたのは、40歳も過ぎてオーディションに挑んだ、北野武監督の『ソナチネ』である。ここで、闇金を取り立てるやくざの芝居を監督に絶賛され、一躍注目を浴びた。以後、存在感のある脇役として数々の名監督たちの日本映画に出演、俗に「300の顔を持つ男」と呼ばれるまでになる。
そして、2000年代以降はテレビドラマへの出演機会も増える。草彅剛さん主演の『僕の生きる道』(2003年/フジテレビ系)では、矢田亜希子さん演じるヒロイン・みどりの父で、学園理事長役を好演。それを機に、草彅さん主演の多くのドラマに出演するようになった。
2010年には、NHK朝ドラのV字回復の起点となった名作『ゲゲゲの女房』に出演。松下奈緒さん演じるヒロイン・布美枝の父・源兵衛を好演した。明治生まれの気骨ながら、娘の縁談相手の茂(向井理)に対しては、腕の障害や漫画家という職業に偏見を抱かず、いち早く彼の人間性を認める――そんな人情味あふれる芝居が大杉さんの身上だった。
生涯、バイプレイヤーを貫き通した大杉漣さん。彼のいないドラマの世界に慣れるまで、僕らはもう少し時間がかかるかもしれない。
早すぎる旅立ち・西城秀樹
恐らく、今年最も世間で驚かれた訃報が西城秀樹さんだろう。享年63。そのあまりに早すぎる旅立ちに、告別式には、かつての「新御三家」仲間の郷ひろみさんと野口五郎さんを始め、多くの芸能関係者らが参列した。約1万人の往年のファンによる「ヒデキ!」コールは圧巻だった。
生前、アイドルやシンガー、タレントとしての活躍が目立った西城さんだが、実は役者としても爪痕を残している。それが、奇才・久世光彦さんの演出と向田邦子さんの脚本で評判を呼んだドラマ『寺内貫太郎一家』(1974年/TBS系)だった。
西城さんが演じたのは、頑固親父の主人公・貫太郎(小林亜星)の長男・周平。劇中では、しばしば父子の取っ組み合いのケンカシーンが描かれ、実際に西城さんは役に没頭するあまり、腕を骨折して入院することもあったそう。同ドラマで共演した樹木希林さんとは生涯に渡る友人となり、プライベートでも2人は役柄のまま「おばあちゃんと孫」(実際の年齢差は12歳)のような関係だったという。
そして翌年には、元祖トレンディドラマと呼ばれる『あこがれ共同隊』(1975年/TBS)にも出演する。ドラマの舞台はファッションの街・原宿。若者たちの青春群像劇で、当時人気絶頂のアイドル――郷ひろみ・西城秀樹・桜田淳子らが共演したことでも話題になった。
西城さんが演じたのは、酒屋の息子の竜也。当初、郷さん演じるデザイナーの卵・広介とはケンカの絶えない仲だったが、次第に友情を育む間柄に。そして、桜田さん演じる明子とは、兄と妹のような恋人同士だった。しかし劇中、達也は不治の病に侵され、ジョギングの途中で心臓発作を起こし、明子の腕の中で絶命。わずか7話の短い出演だったが、強烈なインパクトを残した。
歌も芝居も、常に全力で取り組んだ西城さん。その人生すらも、全速力で駆け抜けた感がある。今ごろ、天国で樹木希林さんとの再会を喜び、積もる話も尽きないのではないだろうか。
公私とも「大岡越前」であり続けた名優・加藤剛
6月、約30年間に渡り、時代劇『大岡越前』(1970年~1999年/TBS)で主役の大岡忠相を演じられた加藤剛さんが亡くなった。享年80。同ドラマはナショナル劇場で『水戸黄門』(1969年~2011年)や『江戸を斬る』(1973年~1994年)と並び、長く名物シリーズとしてお茶の間に親しまれた作品。『水戸黄門』が主役のキャストが代替わりして5人を数えるのに対し、『大岡越前』は最後まで加藤さん一人が演じきった。その意味で、同ドラマは彼のライフワークと言っても過言ではない。
加藤さんの役者としての出発点は俳優座の養成所である。同期に石立鉄男さんや細川俊之さん、横内正さんらがいる。テレビドラマの本格的デビューは『人間の條件』(1962年/TBS)で、いきなり主役に抜擢された。戦時中の困難な状況でも正義や良心を貫く主人公を好演し、以後、その役のイメージは前述の『大岡越前』に受け継がれ、終生、加藤さんについて回る。オファーが来る役は、自然、正義感のある役が多くなった。
70年代から80年代にかけて、加藤さんは数多くの大型時代劇に出演する。
NHKの大河ドラマは2度主演を務めた。『風と雲と虹と』(1976年)では平将門を、『獅子の時代』(1980年)では架空の薩摩藩士・苅谷嘉顕を演じた。
TBSのスペシャル枠の3時間ドラマにも度々出演。『海は甦える』(1977年)ではロシア令嬢と恋に落ちる広瀬武夫を、『風が燃えた』(1978年)ではかの吉田松陰を演じた。1981年のTBS創立30周年記念ドラマ『関ケ原』では、西軍を率いる石田三成に扮し、豊臣家への忠義に熱い"正義"の人を熱演。加藤さんらしい新たな三成像を確立した。
もっとも、そんな加藤さんも松本清張原作の映画「砂の器」(1974年)では、冷徹さと苦悩を隠し持つ天才音楽家という難役に挑戦した。物語のクライマックス、自ら作曲した「宿命」をピアノ演奏する姿に、少年時代に父と放浪した回想シーンが重なる描写は、日本映画史に残る屈指の名シーンと言われる。
私生活では酒・煙草・ギャンブルの類いは一切やらず、役柄のままに真面目な人だったという。孫ほどの年齢のスタッフにも礼儀正しく接する姿に、大岡越前を重ねる関係者も多かったとか。改めて、ご冥福をお祈りします。
天国で夫婦水入らず――津川雅彦が貫いた美学
2018年4月、女優の朝丘雪路さんが亡くなられたことを受け、夫の津川雅彦さんが会見した。「僕より先に死んでくれたことも含めて感謝だらけ」――そう語る津川さんが息を引き取られたのは、その3ヶ月後のことだった。
妻を残して、先にいけない――それは津川さんなりの美学だった。思えば、津川さんの役者人生も、彼一流の美学が貫かれていたような気がしてならない。
生まれは京都である。"日本映画の父"牧野省三を祖父に持ち、父は歌舞伎役者の澤村國太郎、母は女優のマキノ智子、兄は俳優の長門裕之という芸能一家で育つ。女優の沢村貞子は叔母、俳優の加東大介は叔父にあたる。
早くから子役としてこの世界に入り、一躍注目されたのは、日活映画『狂った果実』だった。原作者の石原慎太郎の推薦で石原裕次郎の弟役で出演、その二枚目の風貌で人気俳優となる。しかし、逆にその容姿が仇となり、演技派として評価された兄・長門裕之にコンプレックスを抱き、長くライバル関係が続いた。
転機となったのは1972年、ドラマ『必殺仕掛人』(朝日放送)に悪役として出演してからである。かつての美男スターがプライドを捨てて悪役を演じる姿が評判を呼び、以後、初期の必殺シリーズに欠かせない名ヒールとなった。
この辺りから、二枚目ながら独特のアクの強い芝居が持ち味となり、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』(1977年/TBS系)や『野々村病院物語』(1981年/TBS系)などのテレビドラマの出演機会も増える。『野々村~』で演じた久米医師は、外科医としての腕前は一流ながら、嫌味で厚かましく女癖が悪いという見事なハマり役だった。
NHK大河ドラマの出演も多かった。『独眼竜政宗』(1987年)や『葵 徳川三代』(2000年)では共に徳川家康を演じ、『八代将軍吉宗』(1995年)では徳川綱吉に扮するなど、なぜか徳川家の人物を当てられる機会が多かった。その流れはテレビ東京の新春ワイド時代劇にも波及し、ここでも都合2回、家康を演じている。
80年代から90年代にかけては、伊丹十三監督映画に欠かせない常連俳優でもあった。アクの強い芝居は、ここでもいかんなく発揮された。
2018年8月4日永眠、享年78。天国で今ごろ、妻・朝丘雪路さんと夫婦水入らずの時間を過ごしているに違いない。
死に際まで魅せた不世出の女優・樹木希林
そして――まだ記憶にも新しい、名優・樹木希林さんの訃報。
享年75。最初、その年齢を聞いた時、正直「あれ?お若い」と思ってしまった。それだけ、若い頃からの老け役の芝居が板についていたのだろう。
世間一般に、希林さんの存在が知れ渡るのは、1970年に始まったテレビドラマ『時間ですよ』(TBS系)の浜さん役からである。当時は「悠木千帆」と名乗っていた頃で、普通に"銭湯で働くおばちゃん"に見えたが、実年齢は20代だった。同僚の健ちゃん(堺正章さん)や美代ちゃん(浅田美代子さん)と「トリオ・ザ・銭湯」を組み、毎週クールで味のあるボケを提供してくれた。
希林さんの役者人生は、高校を卒業して入った文学座に始まる。初めて注目されたのは、ドラマ『七人の孫』(1964年/TBS系)で演じたお手伝いさん役で、主演の森繁久彌さんとのコミカルなやりとりが評判になった。後年、森繁さんは希林さんを見て、「あれは俺の演技だ」と語られたそうだが、言うなれば希林さんは森繁学校の卒業生である。
代表作は、やはり1974年の『寺内貫太郎一家』になるだろう。部屋のポスターに向かって「ジュリ~!」と叫ぶのが口癖の個性的なおばあちゃん・きんを演じたが、時に31歳。なんと息子・貫太郎を演じる小林亜星さんより10歳以上も若かった。西城秀樹さんとはこの時の共演が縁で、終生の友人となる。
思えば、希林さんは度々、時の人気アイドルとも共演した。『ムー一族』(1978年)では、郷ひろみさんと挿入歌の「林檎殺人事件」をデュエット。当時、『ザ・ベストテン』などの歌番組にも度々出演した。
1977年、彼女は思わぬ行動で世間を騒がせる。NETから全国朝日放送(現・テレビ朝日)へ名称変更する際の特別番組で、オークションに自身の芸名「悠木千帆」を出品、「樹木希林」と改名したのだ。既に人気が定着した芸名を売ることに世間は驚いたが、当の希林さんは、そんな騒ぎを楽しんでいるようにも見えた。
しかし、そんな希林さんも2000年代になると次第に健康を害し、左目の失明や乳がんの発症など、病との闘いの日々を送るように。2013年には全身にガンが転移していることを発表する。ところが――不思議なことに、病状を明らかにする度、希林さんは自然体になった。再び、女優業も忙しくなり、晩年は是枝裕和監督作品には欠かせないバイプレイヤーとなる。年金受給者のおばあさんを演じた映画『万引き家族』(2018年)は、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した。
2016年、希林さんは1本の新聞広告に登場する。それは、宝島社の企業広告で、安らかな笑みを浮かべ、森の中の水面に一人、身を横たえているもの。コピーは「死ぬときぐらい好きにさせてよ」――一瞬ドキッとするが、幻想的で美しく、まるで希林さんの心の声を投影しているようだった。
生き様が絵になる役者は大勢いる。だが、死に様まで絵になる役者はそうそういない。樹木希林という女優は後者である。
2018年に旅立った名優たち――。だが、作品を通して、彼らは今も生き続けている。僕らがかつての名作に触れ、在りし日の彼らの活躍に目を通す行為こそ、名優たちへの最大の弔いかもしれない。
――合掌。