大竹まこと「東京では(北野)武さん、大阪では上岡龍太郎さん、とってもお世話になりました」

フジテレビュー!!
大竹まこと「東京では(北野)武さん、大阪では上岡龍太郎さん、とってもお世話になりました」

上岡龍太郎さんが、5月19日に肺がんと間質性肺炎のため、大阪府内の病院で亡くなりました。81歳でした。

肖像権等の窓口だった米朝事務所が6月2日に発表。ご本人の強い意向により、ごく限られた身内で密葬を済ませ、お別れの会の類も固辞しているとも伝えました。

上岡さんは1942年京都市左京区の出身。1960年に横山ノックさんに誘われ「漫画トリオ」の一員・横山パンチとしてデビュー。1968年に漫画トリオの活動を休止してからは、ラジオ、バラエティ番組の司会を中心に活躍。巧みで切れ味のいいトークと辛口のコメントが受け人気を博しました。

特に1988年から始まり初代局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』で人気を不動のものにし、『パペポTV』『EXテレビ』などもあいまって、全国区のタレントとして認知されるように。

そんななか、デビュー40周年を迎えた2000年。4月に大阪松竹座での「かわら版 忠臣蔵」公演を最後に58歳で芸能界を引退し、その後、メディアの前に姿を見せることはほとんどありませんでした。

上岡さんの訃報に際し、息子で映画監督の小林聖太郎さん、落語家の桂ざこばさん、和田アキ子さん、大竹まことさんから談話が届きました。

<小林聖太郎さん コメント>

お世話になった方々にも突然のお知らせとなってしまったことを深くお詫びいたします。昨年秋頃、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開で母も私もまだ気持が追いついていない状態です。

とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。弱みを見せず格好つけて口先三寸…。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。縁を授けてくださった皆様方に深く感謝いたします。

<桂ざこば コメント>

長いことお目にかかっていませんが、お元気にされてると思ってましたので、とてもショックです。お芝居でご一緒したときに、「普通は役を演じるねんけど、ざこばさんの場合は役を自分のところに引っ張って来て、登場人物そのもののように思えるわ」とおっしゃってくださいました。

上岡のお兄さんは大好きな方でしたが、皆でワーワー言ってても、どこかでこれ以上入ってはいけないように、なぜか僕が勝手に感じていました。もちろんご本人はいつもカッコよく自然体で、そんなことは考えてなかったでしょうね。また寂しくなります。

<和田アキ子 コメント>

胸がいっぱいで言葉になりません。上岡さんには、『ラブアタック』で一緒にレギュラーをやらせていただき、本当にお世話になりましたし、本当に可愛がっていただきました。会う度に『お前は偉いな!頑張ってるな!』と、いつも褒めてくれました。それがものすごく嬉しくて。

『ラブアタック』の収録後も、ずっと一緒にワイワイ遊んでいただきました。毎週大阪に行って、上岡さんと(横山)ノックさんに会うのが楽しみで仕方がなかったです。

私の誕生日には、毎年お祝いに来ていただき、いつも悪ふざけして、少年のようにはしゃいで笑っている笑顔が忘れられません。本当に残念です。悲しくて仕方ありません。心からご冥福をお祈りいたします。

大竹まこと コメント>

6月2日(金)レギュラー出演している文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」の生放送内でのコメント。

昔大阪での上岡さんの番組に呼ばれて。そこには関西の重鎮もたくさんいらして、私のようなものが簡単に口出せるようなところじゃなかった。ずっと黙っていた。(収録が終わって)上岡さんが俺のところに来て、「大竹、お前は卑怯だ。なんでちゃんとしゃべらないんだ」と言われて。

大阪は「じゃあ○○さん」って振られないんです。大阪のルールを僕も知らなかった。ただでさえ発言できるような場じゃないのに。当時の社長に「あの仕事は失敗したと思う」と話した。そうしたら2、3ヵ月後にまた同じ番組から仕事が来て。どうせだめなんだからと思ってしゃべり倒してきた。収録が終わったら上岡さんが飛んできて、「大竹、お前しゃべりすぎた!」って。それから大阪の、特に上岡さんの番組に呼ばれるようになるわけで。それからこのラジオが始まるまで、東京と大阪と名古屋をかけもちする仕事を毎週やることになった。

上岡さんにはもう一つ、大事なことを教わって。ある日に「大竹、芸人は何したらいいか知っているか。芸人は物事の核心を掴むんだ。物事の芯を掴んだら、その周りをハエみたいにブンブン飛んでりゃいいんだ」と。芯を掴んだら、正義のなたをふるったりする必要はなくて、いろんなことを言って笑わせたりしろという意味だと解釈した。ブンブン飛んで茶化しておけ。切り込んだりするんじゃなくて、と。その教えは私のそれからにものすごく大きく影響していますね。

私にとっては、東京では(北野)武さん、大阪では上岡さん、とってもお世話になりました。

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