毎熊克哉、20代半ばでエキストラ仕事すらなくなった過去。俳優を続けた理由は「辞めようと思うほどやれていない」

公開: 更新: テレ朝POST

2015年、専門学校時代の同級生・小路紘史監督の長編デビュー作『ケンとカズ』にカトウシンスケさんとW主演し、第71回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞をはじめ、多くの賞を受賞して注目を集めた毎熊克哉さん。

野性味溢れる色気を放ち、「遅咲きの新人」と話題になり、映画『北の桜守』(滝田洋二郎監督)、映画『私の奴隷になりなさい 第2章 ご主人様と呼ばせてください』(城定秀夫監督)、連続テレビ小説『まんぷく』(NHK)など多くの映画、テレビに出演。

2023年4月7日(金)には映画『世界の終わりから』(紀里谷和明監督)が公開される毎熊克哉さんにインタビュー。

 

◆高校時代はストリートダンスに熱中

毎熊さんは、小さい頃から映画が好きで、3歳のときに映画『E.T.』(スティーブン・スピルバーグ監督)を観て映画作りに関心をもつようになったという。

「僕が初めて映画館で観た映画は、『ジュラシック・パーク』(スティーブン・スピルバーグ監督)だった気がします。スピルバーグとかジェームズ・キャメロン、そういう映画はずっと子どものときから好きでしたね。

小さい頃からよく映画館に行っていましたし、ひとりで映画を観て、終わる頃に家族が合流して…ということもよくありました」

-それで、映画の世界に進みたいと思うように?-

「そうですね。映画って日常的ではないものが多いじゃないですか。今だったら子どもには観せないような刺激が強い作品も観ていました。それらを楽しいって思ってしまうと、あんまりほかの娯楽に興味が向かなかった感じがあって。子どもの頃は夢中でしたね」

-ちょうどレンタルビデオ屋さんができた頃ですか-

「そうです。だから、レンタルビデオ屋も毎週行っていました。子どもでも100円で借りられるので、借りて来て何度も何度も観ていました」

スポーツもやってみたがハマったことはなく、映画三昧のインドア派の子どもだった毎熊さんだが、高校時代はストリートダンスに熱中したという。

-お母さまが元ダンサーでダンスの先生をされていたそうですね-

「はい。母親の影響で妹もバレエやジャズをやっていて、ふたりが出演している発表会を見に行ったりはしていたけど、僕は全然興味がなかったんです。だけど、たまたまビデオで見たストリートダンスがなんともカッコ良くて、ジャンルは違えど僕もダンスを始めました」

-昔はよくコンビニのガラス窓に姿を写して練習している人たちがいましたね-

「はい。あの手の感じで、はたから見ると、何かガラが悪そうに見えるようなやつですね(笑)。今はもう居ないかもしれませんが、僕の地元にもそういうスポットがあって、ダンサーたちが集まっていました。アーケードの向こう側には全然知らない人たちもいて『何だ?あいつらは』みたいな感じでみんな練習していました(笑)」

-それは趣味でやっていたのですか?それとも将来ダンサーにと?-

「趣味だったんですけど、それなりに真剣にはやっていました。自分で曲を選んで、曲を編集して、振りを付けて…友だちと練習をして、本番で披露するのが楽しくて。

映画監督になりたいという思いはブレなかったので、ほかの何かになるというのはなかったんですけど、具体的に自分が何かを創造して人さまに見てもらうという経験は、それが初めてでした」

-作品を作って観てもらうというのは、映画監督とある意味通じていますしね-

「そうなんですよ。踊りそのものよりも、作って見せるのが好きだったんですよね。よく映画監督とかは、昔から8ミリで撮っていたとかあるじゃないですか。僕はそういうのはなかったんですけど、その代わりに自分がイメージしたものを踊りで表現していました」

※毎熊克哉プロフィル
1987年3月28日生まれ。広島県出身。2005年、高校卒業後、映画監督を目指して上京。東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校(現・東京俳優・映画&放送専門学校)の映画監督科コースに進学。2009年、映像製作集団を立ち上げ、短編映画を多数製作。卒業後に俳優に転身。映画『ケンとカズ』で注目を集め、『私の奴隷になりなさい 第2章 ご主人様と呼ばせてください』、『私の奴隷になりなさい 第3章 おまえ次第』(城定秀夫監督)、『いざなぎ暮れた。』(笠木望監督)など主演映画も多い。4月7日(金)に映画『世界の終わりから』の公開が控えている。

 

◆映画監督を目指して上京、「変わったヤツばかりで…」

2005年、高校卒業後、毎熊さんは映画監督を目指し、東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校(現・東京俳優・映画&放送専門学校)の映画監督科コースに進学する。

「高校を卒業して夜行バスで東京に来たんですけど、朝新宿に着くとカラスだらけで(笑)。住むところは学校の近くにしようと思って、自転車で通えるような距離に最初は住むことにしました」

-実際に上京して学校に通いはじめていかがでした-

「都会で暮らすのは不思議な気持ちでした。でも、やっぱりお金は基本ないので、自分的には結構つらい3年間だったかもしれないです。なにか理由がわからないけどつらいみたいな時期が人それぞれ、中学なのか高校なのかわからないけどあると思います。僕にとっては東京に来てからの3年間でしたね」

-学校で学んでも映画監督になれるという保証はないわけじゃないですか。折れそうにはならなかったですか-

「折れそうになるというか、思っていた理想とはかけ離れていました。自分も含めて、理想が高い素人同士が集まって一緒に映画を作ってもうまくはいかないし、何より人間関係が難しかったです。

学校という場所には社会が生まれたりするじゃないですか。それも面倒くさかったりして、どっちかというと、在学中はあんまり頑張っていない生徒だったかもしれないですね。せっかく上京してきたのに」

-それこそ子どものときから撮っていて、「俺はすごいんだぞ」みたいな人もいたのでは?-

「いろんな人がいました。まともな人もいたけど、変わった人も多かったです。僕はどっちかわかりませんけど(笑)。

でも、どこかで『俺が!私が!』という気の強さがないと映画を撮るにも難しかったりします。そういうエネルギーが蔓延している環境で、自分がこれから先どういう仕事をして生きていくのか?ということにすごく直面した感じはしました。それがつらかったのかもしれません」

-学校に通いながら、映画を撮ってアルバイトも?-

「はい。学校のすぐ近くの居酒屋でアルバイトを。授業はみんな結構サボッていましたね(笑)。学校としてはダメかもしれないですけど、『椅子に座って授業を聞いている暇があったら、カメラを持って撮って来い』というのがあったんですよ。

学校には機材がたくさんあって自由に使うことができたので。僕は2期生で当時は校舎も新しく、みんなよくわからないなりに、とにかく撮影をしまくる実践的な学校でした」

 

◆辞めなかったのは、「辞めようと思うほどやれていなかった」から

映画監督志望だった毎熊さんだが、卒業後、俳優に転向することに。

「在学中に自分でも何本か監督として撮ったんですけど、自分がお芝居を知らないからか、なかなかうまく役者に意図が伝わらないことがあって、そのことがずっと引っかかっていたんです。だから、卒業して何をしようかと考えたときに、『一度演技を学んでみようかな』というのがきっかけでした」

-自主映画の方たちは、お互いの作品に俳優として参加することも多いので、演じるということには慣れていたのでは?-

「そうなんですよね。みんな交換で、人が足りないと出演するというのはよくありました。僕はダンスで人前に出ることに慣れていたので、そういう意味では抵抗は少なかったかもしれないです。

演技の『え』の字もわからないけど、最初にダンスがあったぶん、『恥ずかしい』みたいなのはなかったですね」

-2009年に映像製作集団を立ち上げて、2010年には初舞台『TIC-TAC』で初主演されて-

「演技を始めて“俳優”になったわけですが、どんなにトレーニングをつんでも実践の場がないことに気づきました。

エキストラの仕事をずっとやっていても上達しないですし。そこで同じ境遇にいる仲間たちと、自主映画で映像演技の実験を始めました。舞台もこの時期にやることができて、出会いの運は良かったですね。厳しい世界の刺激的な日々は、あっという間に過ぎていった気がします」

-その当時は事務所に所属されていたのですか-

「一応入っていたんですけど、どこに入ればいいのかよくわからなくて、適当に決めたというか(笑)。演劇をやりたいというわけではなかったので、劇団というのは頭になかったんですよね。

その事務所には結局4年くらいいたんですけど、このままじゃいけないなと思って25歳のときに退所してフリーランスになりました。エキストラの仕事すらなくなって、本当に何もない状態で、今後もこの世界で続けていくのかどうかを本気で考えたという感じです」

-その時点で辞めなかったのは?-

「辞めなかったのは、『辞めようと思うほどやれていない』って思ったんですよね。まだ何も自分の実力を試せてもいないのに辞めたら、ボクサーになりたいのにリングに上がる前に辞めるみたいな、そんな感じがしたし、『辞めたとしてもはたして楽しいのか?』って。

バイト先の正社員になるのが一番現実的な社会との関わり方だったんですけど、今から別のことを勉強して就職先を探すという手もありました。でも、それを選んで楽しいのか?というのをすごく考えました。

このまま白い目で見られながら夢を追う…というのも地獄のような感じはしたんですけど。その両方を天秤にかけて楽しいほうを選びました。先が見えずに悶々とする日々でしたが、自分にとっては大事な時期だったんだろうと思います」

-出世作となる『ケンとカズ』の小路(紘史)監督とは専門学校で出会ったそうですね-

「はい。小路は同期です。僕は、最初撮影照明専攻だったんですけど、やっぱり監督科にしようと思って変えたので、同じ科の同級生です」

-長いお付き合いになるという感じは?-

「どうでしょう。卒業してからも定期的に会っていたし、短編を一緒にやったりして、気づいたら付き合いが深くなっていたという感じです。

お互い別々にできた仲間と交流し合うこともよくありました。みんな自主映画の仲間になっていって、誰かが撮るときには手伝いに行ったり、出演したりして、助け合っていました。俳優の仕事は少なかったのですが、作品を生み出せる環境があったことで何とかメンタルを保っていました」

20代の大半はアルバイトで生活費を稼ぎながらオーディションを受け、時々仲間と自主映画を作っていたという毎熊さんだが、2015年、小路紘史監督の長編デビュー作『ケンとカズ』で注目を集め、多くの映画賞を受賞。次回は撮影エピソード、初めての授賞式の舞台裏なども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:板谷博美

©2023 KIRIYA PICTURES

※映画『世界の終わりから』
2023年4月7日(金)より新宿バルト9ほか全国公開
配給:ナカチカ
監督:紀里谷和明
出演:伊東蒼 毎熊克哉 朝比奈彩 冨永愛 高橋克典 北村一輝 夏木マリ
事故で両親を亡くし、生きる希望を失いかけている女子高生が、突然、世界を救う使命を託され、奔走する姿を描く。高校生のハナ(伊東蒼)は、事故で親を亡くし、学校でも居場所を見つけられないばかりか、いじめにも遭い生きる希望を見出せずにいた。ある日突然、政府の特別機関と名乗る男(毎熊克哉)が現れ、自分の見た夢を教えてほしいと頼まれるが…。

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