和田正人、箱根駅伝に出場し実業団へ…しかし突然の廃部。俳優への転身を決めた「1時間半のジョギング」

テレ朝POST

2004年、渡辺プロダクション系列の芸能事務所・ワタナベエンターテインメントに所属する男性若手俳優集団で結成された「D-BOYS」のオーディションで特別賞を受賞し、『ミュージカル テニスの王子様』で俳優デビューした和田正人さん。

連続テレビ小説『ごちそうさん』(NHK)ではヒロインの幼なじみを演じ注目を集め、以降も『陸王』(TBS系)や映画『空母いぶき』(若松節朗監督)など多くのドラマ、映画、舞台に出演。

12月2日(金)には映画『海岸通りのネコミミ探偵』(進藤丈広監督)が公開になる和田正人さんにインタビュー。

 

◆目の前のことを一生懸命やっていたら扉が…

高知県で生まれ育った和田さんは、幼稚園の頃から目立ちたいタイプで、戦隊ごっこをすると必ずレッドを選んでいたという。

―小さい頃からスポーツは得意だったのですか-

「スポーツ全般というわけではなく、長距離だけが得意で、小学校のときには校内マラソン大会で1位を取ったり、中学では、いろんな部と掛け持ちで駅伝部に入ったら、ちょっと成績がよかったという感じです。それで、高校から本格的に陸上部に」

―高校に進んだときは、将来陸上選手になろうと思っていたのですか-

「将来自分が何をやるかとか、何をやりたいかというのはなかったです。目の前のことだけでしたね。高校3年生のときに僕を欲しいと言ってくれる大学がふたつあったので、『大学に行けるんだ。じゃあ、頑張ったら箱根駅伝走れるじゃん。頑張ろう』って、そのときに思って」

―それで、実際に2年生と4年生のときに箱根駅伝に出場されたのですよねー

「そうです。1年のときからメンバーになっていたんですけど、直前にケガをして出られなかったんです。だから、将来のこととかは考えてなくて、目の前の今日の練習とか今週末の試合という感じで、目の前のことだけをとにかく一生懸命やることしか考えてなかったです。

一生懸命に頑張っていれば、扉は勝手に開いていく、道は開けて行く、結果、そういうところにたどり着いていたという感じですね。

社会人実業団チームに行ったときも、実業団に行きたいという考えはなかったんですけど、大学3年のときに結構いい成績を出したので、実業団の人たちが興味を持ってくれて、『えっ? 実業団に行けるの?』みたいな感じだったんですよ。自分ではそんなことはまったく考えていなかったので。

とにかく高校時代の目標は全国高校駅伝に出て、インターハイ、大学だといい成績を出して箱根駅伝を走ってとか、そこしか見てなかったので、その先のことなんか考えてもしょうがないという感じでしたね」

※和田正人プロフィル
1979年8月25日生まれ。高知県出身。大学卒業後、NEC陸上部に入るが翌年、突然陸上部が廃部になり、俳優になることを決意。2005年俳優デビュー。連続テレビ小説『ごちそうさん』(NHK)で注目を集め、以降も『教場』(フジテレビ系)、映画『花戦さ』(篠原哲雄監督)など、テレビ、映画、舞台に多数出演。2017年の結婚以降は、3歳の長女と10月に生まれたばかりの長男を育てるイクメンぶりも話題に。

 

◆就職先の陸上部が突然廃部に…でも「これは神さまに背中を押されていると」

大学卒業後、NECに入社し陸上部に入った和田さんだったが、その翌年、突然廃部になってしまったという。

「廃部が発表される前日、他チームの友人から『廃部になるんやて?』って言われたんですけど、『聞いてないし、ニューイヤー駅伝も4位という上り調子のチームだから、噂はあるけどそれはないと思うけどなあ。まだ大丈夫だと思うよ』って言っていたんですよ。

そうしたらその翌日の朝、監督から朝練習のときに『今日の午後の練習、各自で走って。そのあとミーティングをやるので〇号室に来てください』って言われて。ミーティングはいつも食堂でやるのに、何で今日は空き部屋に集合なんだろうってイヤな感じがしたんです。

『これは人に聞かれちゃいけない話なのかな?まさか』って。心ここにあらずで練習しに行って、午後の練習は各自で20キロメートルくらいのジョギングで、いつもは先輩と一緒に走るんですけど、その日は1時間半くらいひとりで走っている間に『廃部って言われたらどうしよう?』って色々考えて…。

僕は教職も持っていたので、地元の高校の恩師に『帰ってきて教職やれ』ってずっと言われていたんですよ。多分自分の後継者にしたかったんでしょうね。教師になるか、移籍して新しいチームでまた陸上を続けるか、あとはNECに残って普通の業務に就くというのもある。

まだまだ走れるし、どうしようかなあとずっと考えていたときに、僕がずっとモヤモヤしていたのは、これだけ青春時代やプライベート、いろんなものを犠牲にして一生懸命やってきた陸上を続けたとしても30ちょっとくらいで引退することになって、全部なくなるんだって思って。その後の人生のことを考えると、『何なんだろうな。先細りの人生だなあ』って思っちゃったんですよ、そのときに」

―選手生活はずっと続けられないですものね-

「そうなんです。そんなこととかもずっと考えていて、『生まれ変わったらどんな仕事をしたいかな? 別の人生があったら?』って考えたときに、小さい頃からの目立ちたがり屋の性分が出てきて、『役者さんていいなあ』って思ったんですよ。

ずっと仕事ができるし、先細りになるかどうかは自分次第。年をとったら年をとった役もあるしいいなあって思って。陸上があるからいいと思っていたけど、廃部ってなったら別じゃないですか。『飛び出すか? この世界』って思っちゃったんですよね。

僕の人生、それまで自分が失敗してダメだったことはたくさんあるけど、第三者の何かで自分がやっていることができなくなることは一度もなかったんです。

僕がケガをしてレースに出られなかったとかはありますけど、会社の事情で陸上が続けられなくなるなんて、これは何かメッセージが隠されている気がするって思っちゃったんです(笑)」

―他の道に進みなさいと?-

「そう。これはもしかしたら神さまに背中を押されているのではないかって、本当に思って(笑)。『よし、陸上部が廃部になったら、辞めて俳優になる』って、走っている1時間半で思ったんです。

それで戻って来たら、『廃部です』って言われて、みんな号泣していたり、悔しがって無念という思いでドヨーンとしていて…。もちろん僕も『マジか?』ってなったんですけど、『新しい人生がここから始まる!』って、ちょっと鳥肌が立つ感じで、もう次のことを考えて、ワクワクウキウキしていました(笑)」

 

◆心、性格を磨いて臨んだ芸能界、書類選考で落ち続けたときに、やってはいけないことを…

陸上部が廃部になってから約半年後、和田さんは退社。初めて六本木のバーなどでアルバイトをしながら、ワークショップに演技の勉強に行ったりしていたという。

「会社を辞めてから事務所に入るまでの1年間は苦労しました。アルバイトなんてやったこともなかったですけど、会社を辞めちゃったのでやるしかないじゃないですか。年齢ももう24歳だったし、芸能界には何のツテも何もない、マイナスからのスタートみたいなものですからね。

いろんなことをして、とにかく動いて動いて、自分をまず変えることをすごくやっていきました。それまで陸上しか知らなかったので、まずは社会勉強しなきゃなと思ったんですよ。

心を磨くというか、一回リセットして、中身から変えていかないと多分どれだけカッコつけても、どれだけ当たり障りないお芝居とかができるようになっても、そこを変えていかないと芸能人にはなれないんじゃないかなと思って」

―しっかりしていたのですね-

「真面目は真面目でしたね、ずっと。僕は結局箱根駅伝を走って、実業団までは行ったんですよ、選手として。だけど、同期には実業団駅伝でトップクラスの成績を出したり、世界陸上やオリンピックに出た友だちもいた。その人と僕との違いは何なのかと思って。

『同じ年で同じように走ってきて、何であいつらはそうなって、僕はこうなんだろう?』っていうことを考えたときに、たとえば性能も同じF1カーに乗っているドライバーが、あっちは一流で僕は三流のドライバーだから、そのマシンを乗りこなすことができなかったんだって思ったんです。

つまり、僕は、心、性格、考え方などが三流だったんだと思ったので、そこを磨かないと永遠に三流ドライバーのままだって。そうすると一流のドライバーしかいない芸能界でやっていけるはずがないと思ったので、そこを磨くことを頑張ろうって、いろんなことを実践した1年でした」

―事務所の面接やオーディションも受けたのですか-

「それが、一生懸命頑張って自分を磨いていたはずなのに、履歴書を送っても落とされるんですよ。事務所とかに送っても24歳なので、まず会うことすらできない。写真とプロフィルだけでダメって。

『こんなに頑張っているのに、なぜ会うチャンスすらないんだ?』って思ったときに、イラッとしちゃって…。それで年齢をごまかして『第1回D-BOYSオーディション』に書類を送ったら通っちゃって。まず会うチャンスを作りたかった。『僕を見てくださいよ』って。

それで、面接をして受かって、最終オーディションで審査員特別賞をいただいて、何とかD-BOYSに入ることができたんです」

―もし本当の年齢、24歳と書いて応募していたらどうだったでしょうね?―

「ダメだったと思います。たぶん書類審査に通ってないです。でも、年齢をごまかしたのは、嘘をついているわけですからいけないことで、本当に申し訳なかったと思っています。

そこまでしてでもやりたいという思いがあったんですけど社長にバレたとき、『そこまでしてやりたいという和田くんの熱意はすごく評価します。ただ、世の中に対してだったらわかるけど、一緒にこれから頑張っていこうという私たちにも嘘をついていた。信頼関係が築けていなかったと思うと残念です』って言われて。それでも残していただけたんですけど、そのときに言われた言葉は今でもハッキリと覚えています。嘘はやっぱりいけないって。

年齢をごまかした人は、僕の翌年にもいたらしいですからね。でも、僕のことがあったから、翌年から身分証のチェックが入ったらしいです(笑)。それは申し訳なかったなあって思いました」

2004年10月、D-BOYSに加入した和田さんは、2005年1月、『ミュージカル テニスの王子様』で本格的に俳優デビューを果たす。

―『テニスの王子様』もオーディションですか?-

「はい、オーディションです。受かる自信はあったんですけど、味方チームで選ばれると思っていたんですよ。そうしたら敵チームだったので、それは悔しかったというか、なかなか腑に落ちるまで時間がかかりましたけど、それでもステージに立ったら、ひとまずよかったなあって思いました。立てない人だっているわけですからね。やっぱり最初はすごく感動的でした。

陸上を辞めた1年半後に、千人くらいのキャパのステージに立っているんですよ。マジで本当に信じられなかったです」

―自分が生きていくのはこの世界だと思いました?-

「はい。やっぱりこっちが向いているなって思いました。僕は陸上をやっているときに楽しいと思ったことは一度もなかったんです。勝つためにと思ってやっていましたから。だけど、この仕事は楽しいと思ってやれているから、性に合っているのかなって思いました」

翌年には『不信のとき~ウーマン・ウォーズ~』(フジテレビ系)、『だめんず・うぉ~か~』(テレビ朝日系)、映画『実写版 テニスの王子様』(アベユーイチ監督)などコンスタントにドラマ、映画に出演。

2013年、連続テレビ小説『ごちそうさん』(NHK)のちゃん(泉源太)役で注目を集めることに。次回は『ごちそうさん』や『陸王』などの撮影エピソードも紹介。(津島令子)

ヘアメイク:五十嵐千聖
スタイリスト:奥村渉

©2022『海岸通りのネコミミ探偵』製作委員会

※映画『海岸通りのネコミミ探偵』
12月2日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次ロードショー
配給:ビデオプランニング
監督:進藤丈広
出演:牧島 輝 和田正人 菊池 爽 尾関伸次 徳井 優 ベーコン(猫) ぽんず(猫)/星野真理

湘南の海を舞台にした、ネコが起こす奇跡のストーリー。湘南の浜辺でいなくなったペット猫・ミミちゃんを探している猫塚照(牧島輝)は、ペット探偵を営む猿渡浩介(和田正人)にミミちゃん探しを依頼。一緒にミミちゃんを探すことになるが、無一文で調査の報酬が払えない猫塚は、猿渡の探偵業務を手伝うことに…。

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