岡田武史がサッカー用語を再定義!「岡田メソッド」が伝える新たな指導法

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岡田武史がサッカー用語を再定義!「岡田メソッド」が伝える新たな指導法

元サッカー日本代表監督で、現在は今治.夢スポーツの代表取締役会長として手腕を振るっている岡田武史が、サッカー番組『FOOT×BRAIN』(テレビ東京系、毎週土曜24:20~)にゲスト出演。岡田が出版した日本サッカーの未来を見据えた指南書「岡田メソッド」の核心に迫った。

現役時代は選手として日本代表で活躍し、引退後は監督として2度のワールドカップで日本代表の指揮を執り、横浜F・マリノスではJリーグ2連覇に導いた岡田。現在は愛媛でFC今治のオーナーとして手腕を振るっている。

まずは指導者としての足跡をたどることで「岡田メソッド」誕生の秘密に迫った。現役時代にバイエルン・ミュンヘンとの対戦で世界との差を痛感し、現役を退くことを決意したという岡田。90年に引退し、翌年から指導者になると「選手のためのチーム作り」を進めた。しかし、選手もチームも成長させることはできず、92年にドイツへ指導者として留学。そこで選手と監督の立場の違いを理解し、チームのトップとして孤独と向き合い、決断することの大切さを学ぶ。93年に帰国しジェフ市原(当時)のサテライトチームのコーチに就任し結果を出すと、翌年には当時日本代表の加茂周監督から代表コーチに抜擢される。そして97年、加茂監督の更迭を受けて日本代表監督に就任した。

初出場となった98年のフランスワールドカップでは3戦全敗。バティストゥータなどの世界的なスター選手を前に「スタートラインから5mくらい後ろにいた」と振り返るなど、当時の世界との距離は精神的にも遠かったという。その後、北海道コンサドーレ札幌の監督を経て、03年に横浜F・マリノスの監督に就任。1年目にして当時2ステージ制だったJリーグで完全優勝を果たし、翌年にはJ1連覇の偉業を達成した。

しかし、「勝つだけだったら確率論だからそんなに難しくない。でも、それでは長続きせずに行き詰まる」と当時の心境を吐露。サッカーの得点の60%ほどはカウンターアタックで、外から攻めればカウンターを受ける回数を減らすことができる。そのように失点しないことで勝つ確率を高めていった結果、本来ならば中央突破ができるタイミングでも、見もせずにサイドにボールを回すようになってしまったという。「結果を残す自信はあるが、これが指導者と言えるのか? 様々なトライを重ねても勝つ方向に自分が戻ってしまう。これが自分の限界かなと感じ始めた」と胸の内を明かした。

そんな中、2度目の日本代表監督に就任。「ボール際で勝つこと、相手より1人1km多く走ること、中距離パスの精度を上げること」。この3つを成し遂げないと絶対に勝てないと選手に伝えたという。しかし、自分が代表に選ばれるかわからないのに、どうしたらやってくれるのか? 岡田は「志の高い目標と“本気”で目指す空気を作らなくてはならない。この本気というのが大事だった」と考え選手たちに伝えた。すると選手たちもその思いに応え日韓大会以来となるワールドカップでベスト16を達成。指導者のキャリアを通じて選手の自主自立の重要性を感じていた岡田にとって、理想に最も近づいたのがこのチームだったという。

そして2014年、岡田に運命の出会いが訪れる。当時、FCバルセロナのメソッド部長だったジョアン・ヴィラと対面。「スペインにはプレーモデルというサッカーの型のようなものがあるけど、日本にはないのか?」と尋ねられ、スペインではプレーモデルと呼ばれる原則を16歳までに落とし込み、あとは自由にすると教えられたという。これを聞いた岡田は、日本でも育成年代からしっかり型を学んだら、その後、主体的にプレーする選手が育てられるのではないかという考えに至る。岡田がたどり着いたのが、まさに「守破離」という日本に古くからある教え。最初は師匠の教えを守り基本の型・原則を学ぶ。そして、教えを守るだけでなく個性を加え発展、やがては型にとらわれず自在となるという考え方だ。

そこで実践の場としたのが、愛媛にある当時アマチュアクラブだったFC今治。岡田メソッドを導入すると、わずか5年でアマチュアリーグからJ3へ参入。さらに育成年代のジュニアユースとユースチームはともに四国リーグ昇格を果たした。さらにFC今治のコーチ陣が地元サッカー部や街クラブの巡回指導をスタートすると、全国高校サッカー選手権でも初出場の今治東がベスト16進出、愛媛県の新人戦決勝は今治の学校同士の対戦が実現するなど結果として効果が表れていく。

岡田が目指すサッカーは、個を最大限に尊重しつつ組織的に戦うスタイル。それを実現するために「共通原則」「一般原則」「個人とグループの原則」「専門原則」をまとめたプレーモデルを確立。例えば、ピッチを縦5つ、横3つに分割し、縦をレーン、横をゾーンと名付けた。ピッチを碁盤の目のように区切り、場所ごとのプレーを原則化したことで、やるべきプレーを明確化。「あくまで自分のチームの原則として考えられているので、それぞれ違って良い」と解説した。

さらに数々の原則を説明するために着手したのは、用語の統一。例えば「くさび」という言葉を使った時、指導者は「前線の選手に対する縦パス」をイメージして話していたが、それを聞いた選手の中には「上がっているサイドからセンターフォワードへのパスもくさび」と捉えていた者もいたという。イメージを統一するために、縦に出すパスを“シャンク”と名付けるなどして用語を作ることで共通理解を深めていくのだという。

そのほかにも、これまでは「サポートしろ」「今のは寄れ」と漠然と指示していたが、サポートにおける3つの原則(①ピンチの味方に近づきパスを受けて攻撃をやり直す ②前にスペースがない時にパスを続け有利なスペースを作り出す ③マークを外してボールを前に前進させる動き)を作成。そうすることで、選手が誤った動きをした際に指摘しても「今のは②ですね」とイメージを共有できるようになり、指導者と選手たちが同じ方向を向いて取り組めるようになる。そのようなサッカーを原則でまとめたのが「岡田メソッド」だという。

番組アナリストの名波浩は「理解も早いし、すぐにプレーとして実行できる。例えば、①と言ってボールが来ないときは、すぐに③と言って選手を追い越す動きに切り替えられる」と言語化することの効果を直感。岡田も深くうなずいていた。

さらに岡田の夢は広がっていく。最初は岡田メソッドを16歳までに落とし込むチームを作るために今治に行ったが、街の活気がなくなりつつあり、クラブが成功しても立つべき場所がなくなってしまうことを危惧。FC今治を頂点にした育成年代のピラミッドを作り、FC今治の指導者を各チームに派遣し岡田メソッドを指南することにした。FC今治が強くて面白いサッカーをするようになれば、今治にサッカーをやりたいという人が集まり、ホームステイやアジアからの交流などが行われるようになれば活気に満ちた街にできるのではないか。これを岡田は「今治モデル」と呼び活動を広げている。

2017年には総工費約3.8億円をかけてスタジアムを建設。子供たちが楽しめるゲームやグルメ、サポーター同士の新たな交流の場、そして、サッカーを知らない人々も楽しめる今治市民の憩いの場となっている。さらにはJ2仕様の新スタジアム構想にも着手。コロナショックで延期になったが、来るべき未来を既に見据えている。

「地元の人の心のよりどころとして365日人が集まる場所にしたい。それを企業理念である“次世代のために物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会を残したい”という思いを持ってサッカーをやっていますし、野外体験学習、次世代リーダー育成などの事業をやっています。本当にこのままで次世代に譲っていって良いのかと、この社会を何か変えたいと自分の出来る範囲でやっていこうと思っています」と熱い思いを語っていた。

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