「何もない」こそが宝!阪急グループの創始者小林一三の発想に迫る

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9月6日の『先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)』(Eテレ、毎週火曜22時~)は、「崖っぷちから大逆転!~日本人の生活を変えた男 小林一三~」と題して、阪急グループの創始者・小林一三の知恵を探る。

郊外の一軒家で家族とのんびり暮らし、休日には電車に乗ってデパートへお出かけ。そんな人々のライフスタイルは、明治末から昭和の初めにかけて、一三によって提案されたものだった。

実は、就職した会社からダメ社員のレッテルを貼られるほど“仕事のできない”男だった一三は、30代半ばにして一念発起、門外漢の田舎鉄道ベンチャーに身を投じ、奇想天外なあの手この手で「庶民の夢をかなえる理想郷」を作り上げていく。今回番組では、一三の奇抜なアイデアに満ちた知恵を探っていく。

まずは、「“何もない”こそが宝と思え!」。箕面有馬電気軌道(現在の阪急)が走ることになった大阪郊外の田園地帯。当時鉄道は大都市間をつなぐのが常識で「トンボとイナゴしか乗らない」とやゆされた。解散寸前だった会社を任された一三は、それまで誰も考えつかなかったアイデアを思いつく。それは「乗客がいないならば、作り出せばいい!」ということ。「何もない」ことに価値を見いだすことで事業を成功に導いた一三の逆手の発想とは?

こうして、通勤客を新たな乗客として取りこむことに成功した一三が、さらなる乗客増のために目をつけたのがファミリー層。女性が子どもを連れて電車に乗れば、乗客数は一気に2倍、3倍となる。そのための切り札が、日本初のターミナルデパートの建設だった。駅で便利に買い物ができるうえ、いいものが安く手に入ると、女性客の心をわしづかみに! しかも屋上の大食堂ではライスカレーなどオシャレな洋食を安く楽しめるとあって子どもたちにも大人気となった。一人の客の背後に、無限に広がる大衆を見る小林の商売の極意に迫る。

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