『いちばんすきな花』松下洸平“椿”がさらけ出した無防備な子どもの顔

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『いちばんすきな花』松下洸平“椿”がさらけ出した無防備な子どもの顔

他人に関係を説明するときに、「友達」と言うのって結構勇気がいる。どこからが「友達」なのか定義がわからないし、もしも相手が「友達」だと思っていなかったら恥ずかしくて消えてしまいたくなる。

だから、つい「仕事の関係で知り合って」とか「月1くらいで一緒にメシを食べに行くんだけど」とか事実ベースで誤魔化してしまう。

この4人も同じだ。『いちばんすきな花』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~)第3話は、人に関係を尋ねられてもモゴモゴしてしまう真面目で遠慮がちな人たちが、「友達」と言えるまでを描いた回だった。

嫌われない配慮をするほど、世間では生きづらくなる

いい子ぶりっ子、という言葉がある。往々にして、いい意味では使われない。この言葉が用いられるときは、もっぱら誰かを悪く言うときだ。

だけど、よく考えてみたら、いい子でいようとすることがどうして悪いことなんだろう。人に嫌われたくないという配慮をなぜ人は嘲るんだろう。理由なんて嫉妬か、あるいはそういう気遣いをできない自分の怠慢さを棚に上げるためで、いい子であろうとする人に落ち度はない。

なのに、いい子ぶりっ子は損をして、追いつめられて、どんどん疲れていく。

春木椿(松下洸平)もまたいい子であらなければならないという呪縛を長年自らに課してきた人だった。自分は他の人とちょっと違っている。そして、そのちょっと違うことは、学校という集団生活においては忌み嫌われるものだった。だから、悪目立ちしないように必死にいい子を擬態する。

面倒な頼まれごとも笑顔で引き受ける。何を言われてもノーとは言わない。いい子からいい人になった椿は、いつの間にか「何をしてもいい人」になっていた。

コピー機のカートリッジを交換する。誰かがやらなくちゃいけない雑事をやっているだけ。なのに、まるで自分が迷惑をかけたように煩わしい顔をされる。あんなふうに露骨に態度に出されるのは、椿のことを対等な人間として見なしていないから。それでも、椿は怒りもせず、鷹揚とかわす。

怒ると、波風が立つから。怒らないのは、嫌われない配慮。自分はどうやら他の人と違うらしい。自分の考えていることは他の人からすると意味のわからないことらしい。そうわかっているから、隠して、隠して、隠して、生きてきた。

「楽してるだけ。自分が悪いって思う方が楽だから」

元婚約者の小岩井純恋(臼田あさ美)に対してもずっとそうだった。意味のわからない自分を見せることなんてできなかった。だから、人当たりのいい自分でパッケージングする。いちばん胸の内を見せなきゃいけない相手にさえ、何かと煩雑なことを押しつけてくる職場の人と対応が変わらない。

純恋は、そんな椿と一緒にいて、どこかのっぺらぼうと過ごしているような気持ちだったのかもしれない。自分が何をしても、怒りもしない。悲しみもしない。ただニコニコと穏やかに笑っているだけ。

だから、森永くんと浮気をした。純恋が見たかったのは、いい人の椿くんじゃない。本当のことを話してくれる春木椿。でも、それが椿にはどうしてもできない。純恋が浮気してもしなくても、きっと2人は「2人組」にはなれなかった。

大人とは、一生懸命大人を演じている子どもなのだ

椿を演じるのは、松下洸平。松下洸平の声は、少し呼気が多い。それが、独特の湿りとなって、上質な化粧水のようにじんわり心に浸透する。迷子の子犬のような面差しが、世間からちょっとはぐれてしまっている椿にぴったりだ。

それでいて、特に今回の純恋とのシーンは、なんだかひどく幼く見えた。落ち着きのある大人、ではなかった。きっとそこには、演じ手の意図があったように思える。

「私と一緒にいたら、たぶんどんどん感情なくなってくでしょ」と言われて、頬の涙を拭い、「うん」と頷く。唇を結んだその顔は、まるで無防備な子どもみたいだった。「純恋と話すのしんどいなと思っていた」と裏返りそうになるのをこらえる声色は、「ひとりで大丈夫です」と強がる椿とは別人だった。

「純恋のことも」と言って口角を上げて笑顔をつくろうとするけれど、「純恋の話も」と重ねたら、もう作り笑いはできない。悲しみで笑顔は崩れて、言葉を続ければ続けるほど、どんどん痛みがせり上がってきて、眉根を寄せることで、それを必死に堰き止める。

いつも表面的な椿が、純恋の前で初めて見せた本当の自分。物分かりのいい椿くんじゃない、よく喋る、落ち着きのない春木椿。純恋は今までずっと無理をさせてきたことに傷ついただろうけど、ちょっとだけうれしかった気もする。やっと、いい人の鎧をほんの少し脱いでくれたことが。大人とは、一生懸命大人を演じている子どもなのだ。

春木家は、4人が子どもに帰れる場所

そう考えると、潮ゆくえ(多部未華子)も深雪夜々(今田美桜)も佐藤紅葉(神尾楓珠)も、春木家にいるときはずいぶん子どもっぽく見える。突然やってきた純恋を、ソファの背もたれに体を預けてじーっと見たり、階段の上で三角座りして2人の別れ話に聞き耳を立てたり、他人の家で堂々と眠りこけたり。自由気ままな子どもみたいだ。

それぞれの場所で大人ぶっている3人にとって、春木家は頑張らなくていい場所なんだろう。夜々は部室に喩えたけれど、あえて別の言葉を使うなら、春木家は子どもに帰れる場所。だから、定期的に通いたくなる。

「ひとりで大丈夫って思えるのは、ひとりじゃないってわかったときなんだなって」

この台詞が、今回のハイライトだ。ずっとひとりで大丈夫にならなきゃと思い込んでいた。そうやって言い聞かせている椿はとても痛々しかった。

でも、夜々と紅葉がいなくなった部屋でコーヒーを味わいながら「ひとりで大丈夫」と噛みしめる椿は、ちっともみじめじゃなかった。なぜなら、虚勢ではないから。家族にも職場にも見せられない本当の自分を出せる場所を見つけた人は、たぶん強い。

3人のことを椿は「友達」と言った。少し間を置いて、はっきりと。「友達」のいいところは「2人組」じゃなくてもいいところだ。今の日本の法律では夫婦は2人組でいなければいけないし、2人組以外の恋人も世間の常識がなかなか許さない。

でも、「友達」は2人組でも3人組でも4人組でも、いい。自分たちのいちばん心地のいい形をデザインできる。それは、ゆくえや椿や夜々や紅葉みたいに、自分のフィットする場所を見つけるのが得意ではない人たちにとって、気負わず身を預けてそのまま寝落ちできるソファみたいだ。

坂元裕二の名作『カルテット』(TBS系)は、たとえ社会が理解しなくても、自分たちにとって心地のいい場所を見つけた4人が、道に迷いながらも駆けていく場面で幕を閉じた。

この4人は、これからどんな場所へ僕たちを連れて行ってくれるだろうか。

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