『最高の教師』ドラマを超えた詩羽“瑞奈”の歌声が、人々を突き動かした

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『最高の教師』ドラマを超えた詩羽“瑞奈”の歌声が、人々を突き動かした

いいドラマを観たとき、強く「誰か」に観てほしいと思う。

その「誰か」が鮮明であればあるほど、作品のメッセージは深く、鋭い。

最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(日本テレビ系、毎週土曜22:00~)第5話は、観てほしい「誰か」がはっきりと浮かぶ、あらゆる17歳のための物語だった。

なぜ生田は瑞奈にトリを譲ったのか

日本は同調圧力が強い国だと言われる。その土壌となっているのが学校教育だという意見にも、それほど異論は出ない気がする。

同じ制服に、校則で決められた髪型。色付きの靴下は注意され、恋人からもらったネックレスをこっそりシャツの下に忍ばせていた女の子は、生活指導の先生に取り上げられていた。

多数決で決まるクラス行事。作者の意図より先生のほしい答えを探すための国語のテスト。好きなアーティストを言い出せなくて、みんなが聴いているヒットチャートを無理やり覚えていた放課後のカラオケ。

ちょっと道から外れると、変わり者扱い。のけ者にされるのが怖くて、人と違うことに何よりも怯えていた。でもその一方で、自分は他のみんなとは違うんだという根拠のない特権意識がいつも臆病に唸り声を上げていた。

きっとどの時代も、そんな17歳で教室は溢れているのだろう。だから、周りの目なんて気にしないで自由に振る舞う人を見ると無性に腹が立つ。どうして自分だけが変人ムーブをかますことを許されていると思えるのかと憎々しくなる。

生田やよい(莉子)にとって瑞奈ニカ(詩羽)は、そんな存在だったのだろう。だから、臨時のホームルームであんなにも苛烈に怒りをぶつけた。

ダンス部の生田にとって、高3の文化祭は最後の晴れ舞台。懸ける想いも人一倍強かった。だから瑞奈のせいで文化祭が中止になるなんて許せない。その気持ちはもちろんわかる。

でもきっとそれだけじゃなくて。ダンスという自己表現をしている生田からすれば、音楽の道ですでに世間に認められている瑞奈は嫉妬の対象だったんだと思う。自分と同い年で、学校も同じ。与えられた時間や境遇は同じはずなのに、すでに瑞奈は手の届かない場所にいる。

才能の差、というものを認めるのはいくつになっても辛い。逆立ちしたってかなわない相手がいることを受け入れるには、17歳のプライドは高すぎる。

「いつもはみんなと違うって顔して変人ぶってイキってるくせに、それを弁えて行動すべきだっていうのは普通じゃない?」

そう生田は言った。あの場では八つ当たりに聞こえたけど、同じクラスにいたら一理ある意見なんだと思う。たとえば、前回、孤立した江波美里(本田仁美)が助けを求めに来たとき、瑞奈は冷たく突き放した。クラスメイトたちに対して自ら一線を引いていた、というのはある程度事実なんだろう。ならば、一線を引かれた側が「庶民ですみませんね」と卑屈に思うのも致し方ない。

しかも、瑞奈には芸能界という輝かしいステージがある。そんな人とは違う人間が、文化祭だからって、こっちに降りてこられたらたまったものではない。特にダンス部にいる生田からすれば、文化祭は自分たちが主役になれる場所。そのスポットライトの中心を、他に居場所がある瑞奈に横取りされるのは面白くない、というのも自然な気持ちだ。

そんな嫉妬心とコンプレックスが、あのとき、生田を駆り立てたんだとしたら、生田をヒールだとは思えないし、思いたくない。

だが、生田は体育館のステージで、華々しいトリの役目を自ら瑞奈に譲った。本来、トリを務めるはずだった主役の場をなぜ生田は明け渡したのだろう。

「なぜみなさんは自分と違う道を歩む人を、調子に乗っていると区別し糾弾の対象に置くのでしょうか」

あれは、九条里奈(松岡茉優)の問いかけに対する生田からのアンサーなんだと思う。違うことが調子に乗っていることであるならば、もっともっと調子に乗ればいい。どんどん人と違う道を進んで、他の誰にも置き換えることのできない特別な人間になればいい。

それができる人は、限られている。みんながみんなそういう人間になれるわけではない。生田もきっとわかっている。仮に自分が人と違うことをしても、そこまで大きな何かを得られるわけではない、と。でも、瑞奈は違う。世界一のアーティストになるなんて大言壮語を本気で吐ける人間だ。

だから、託した。瑞奈がどこまで行けるかを見たかった。

「調子乗りの大将がどれだけ力を発揮するか証明しなきゃ終われないでしょ?」

あの生田の皮肉みたいなエールは、人と違う人間になれない者が、人と違う人間を認めた瞬間だった。とても美しい青春の一場面だった。

今、教室で過ごす10代にこのドラマを観てほしい

そこからの瑞奈の演説と歌唱は、もはやドラマを超えた熱いものがあった。

瑞奈を演じた詩羽は、水曜日のカンパネラの2代目ボーカル。俳優が本業ではない彼女が見せたパフォーマンスは、演技という枠組みにおさまりきらない何かがあった。みぞおちのあたりから突き上げるような興奮があった。

それはもしかしたら彼女自身が、瑞奈という役に、あるいはこの作品のメッセージにシンパシーを感じたからかもしれない。彼女自身、校則で縛られることに生きづらさを覚え、学校における集団生活に窮屈さを感じていたと言う。

その唯一無二のファッションも、矢沢あいの『ご近所物語』からの影響が大きいそうだ。『ご近所物語』の主人公・幸田実果子も明るく前向きな性格の陰で、過去に人と違うことから迫害を受け、寂しさを抱えてきた。光と影の交差するヒロイン像に自己投影する部分も、もしかしたらあったのかもしれない。

そんな瑞奈と詩羽自身が渾然一体となるような歌声が、多くの人たちを突き動かした。椎名林檎の「17」という選曲もぴったりで、むしろこの曲がベースとなって第5話が生まれたのではないかと思うようなフィット感があった。

涙を流すシーンも自然で、未熟な俳優ほど泣こうとする感情が前に出てしまうのだけれど、詩羽のそれは内側に巻き起こるものをしっかりと感じながら、そこからこぼれ出たものが涙となって表出したようだった。莉子のホームルームでの悔しさを噛み殺すような表情も印象的で、毎回生徒たちの熱演が話題を呼ぶ本作だが、今回の2人もまた記憶に残る演技を見せてくれた。

人と違うようにしか生きられない者と、人と違うように生きたくても生きられない者。どの教室にもいる生徒たちの葛藤を、両面しっかりすくい上げたところに今回の物語の価値があると思う。

だからどうか今、教室で過ごしている多くの10代にこのドラマを観てほしい。自分が17歳だった頃、椎名林檎の「17」があったことで救われた大人たちがこの社会にたくさんいるように、きっと今の自分たちの気持ちにこのドラマは寄り添ってくれると思う。

鵜久森叶(芦田愛菜)にもタイムリープ説が出るなどミステリーの部分も過熱しているが、仕掛けの面白さだけで語り尽くせない輝きが、ここにある。

『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』は、TVerにて最新話に加え、ダイジェスト動画などが配信中。