“神様”ジーコが明かす熱い思い「日本サッカーの発展に少しでも役立ちたい」

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ジーコが6月10日に放送されたサッカー番組『FOOT×BRAIN』(テレビ東京系、毎週土曜24:25~)にゲスト出演。30周年を迎えたJリーグを振り返りながら、自身が行っている新たな試みについても語った。

MCの勝村政信から「どうもご無沙汰しております」と出迎えられたジーコは、5年ぶりの番組出演。今回は3つの章に分けて、日本におけるジーコの過去と未来を紐解いていくことに。第1章は、プレーヤーとしてサッカーの面白さと奥深さを日本に伝えた現役時代について。

ジーコと日本サッカーとの関わりは、鹿島アントラーズの前身である住友金属への入団から始まった。ジーコは「当時は誰も住友金属がJリーグの舞台で戦うと信じていませんでした。ヴェルディは当時、最大の敵がマリノスだと思っていたが、その後は鹿島が最大の敵になったんじゃないかな」と述懐する。

選手たちの「成長したい」という意欲がチーム力の向上につながったというジーコに、解説の北澤豪は同意しながら、“神様”ジーコがチームにいることも他の選手たちのモチベーションになったのではないかと指摘した。

同じピッチに立つプレーヤーでありながら、日本の選手を叱咤激励することもあったというジーコは「大人になってから怒られるのは本当に大事なこと。怒られることで過ちなど、気づきが得られます」と、怒られることが成長につながると説明。一方で、怒る側の心情については「成長してほしいから怒るわけで、怒られたから“なんだコイツ”と捉えてはいけない。私もキャリアの中でたくさんの人に怒られたこと、今はとても感謝しています」と明かした。

ジーコによって常勝軍団となった鹿島アントラーズは、2018年にアジアチャンピオンズリーグを制覇。アジアの頂点に立つまでに飛躍する。しかし、近年は国内タイトルからも遠ざかっており、鹿島アントラーズのクラブアドバイザーを務めるジーコは「いくつか原因はあると思いますが」と前置きしながら、「(国内で選手が)活躍すると海外に引き抜かれてしまうので、強いチームを維持するのが難しくなっています」と、原因の一つに選手の海外流出を挙げた。一方、北澤は一時代を築いた復帰組やレジェンド選手たちの存在に触れ、「少しずつ、また兆しが見えてくるのかなっていう雰囲気ありますよね」と、鹿島アントラーズの復活に期待を寄せる。

続く第2章は、ドイツW杯を目指して戦った代表監督としての4年間について。ジーコはクラブチームと代表チームを率いることの違いに関して、「クラブの選手とは毎日一緒にいますので、団結という意味ではしっかりできていました。代表は各ポジションから良い選手を集められますが、常日頃から一緒にいるわけではありません」と語り、「(代表は)監督として選手を選ぶことも難しいですが、一つにまとめ上げることにも苦労しました」と打ち明けた。

さらに、ジーコは今の日本代表にも言及。ジーコジャパンから16年が経ち、カタールW杯ではドイツやスペインを撃破するほど、世界との差を縮めているが、ジーコも日本代表が強くなっていることを肌で感じているという。大一番を前に、森保一監督に「歴史があるからといって彼らが勝っているとは限らない。サッカーの結果というのは、ピッチの上でしか分からないことがある」と、伝えたことを明かした。

そして、第3章はジーコによる「日本への恩返し」について。昨年の2022年10月にジーコは富山県射水市に「ジーコ10・サッカースクール」を開設。このスクールは外国人の多い射水市で日本の子どもたちと交流ができる場を作りたいという市の考えと、日本サッカーの未来を担う選手を育てたいジーコの思いが合致して実現したという。

番組では今年の4月30日に射水市で行われた「ジーコ10・サッカースクール」のセレクションの模様を取材。居住地域の制限を設けずに募集したところ、ジーコに教わりたいと、およそ100人の少年・少女がチーム作りのためのセレクションに集まった。ジーコによる選考と指導は約4時間に渡って行われ、セレクション終了後の会見では「サッカーを教えるだけでなく、人として成長させたいと考えています。選手を育てる上でもっとも重要なことで、ジーコ10ではそこを大事にしていきたい」と宣言。「常識や人として大切なことを子どもたちに教えていきたいと思っています」と意気込んだ。

ジーコはスクールを設立した理由について、「私が長く携わってきた仕事というのは、やはりサッカーなんですね。そのサッカーを発展させるためにできることはやはりサッカースクールではないかと思います。これまで培った経験やメソッドを子どもたちに教え、日本のサッカーの発展に少しでも役立ちたい」と、思いを吐露。

日本への熱い思いは止まらず、「私は鹿島に長く所属し、代表にも関わったことで、日本とのつながりがとても強くあります。そして、日本の方々は私に温かく接し、迎え入れてくれました。これだけ長く日本と深いつながりがあるので、何かしらの形で恩返しをしたいという気持ちがありました。私の健康が続く限り、子どもたちが大好きなサッカーで貢献したいと思っています」と強調した。

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