『エルピス』視聴率と開かずの扉、恵那と拓朗それぞれが抱える「弱さ」を誰が否定できる?

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『エルピス』視聴率と開かずの扉、恵那と拓朗それぞれが抱える「弱さ」を誰が否定できる?

「法務大臣というのは、朝、死刑のハンコを押しまして、それで昼のニュースのトップになるのは、そういうときだけという地味な役職なんですが」。これはドラマの台詞ではなく、2022年11月に実際に葉梨康弘元法務大臣が話した言葉だ。現実はドラマよりも奇なり。

エルピス―希望、あるいは災い―』(カンテレ・フジテレビ系、毎週月曜22:00~)で「この国の死刑はいつ執行されるかも順番も決まっていないって知っていますか? お偉いさんの都合でいつでもいいんですよ。なんかよく突然まとめてされたりしているでしょ、ゴミでも捨てるみたいに」 という話を聞いていたので、あまりに地続きな現実に、驚きとともに怒りが湧いてしまう。

そして11月14日に放送された第4話では、また司法の高い壁が立ちはだかることになる。

おじさんのメンツと、視聴率至上主義

浅川恵那(長澤まさみ)が八頭尾山連続殺人事件の特集を放送することで、物語は加速する。コーナーは驚くべき高視聴率を叩き出し、世間の注目が集まってきた。それに対し、喜ぶどころか反対していたおじさん(局長やプロデューサー)たちのメンツを気にする恵那の思慮深さには驚いた。

「おじさんたちのメンツとプライドは地雷なの。死んでも踏まないように歩かないといけないんだよ」という言葉は、恵那が女性アナウンサーとして生きるために得た処世術の賜物。だってそこにある権力構造に、女性は太刀打ちできないから。

そんな恵那の心算は必要なかったかのように、局長からは激励され、後押しまで得ることとなる。それは「視聴率」が物を言ったからだろう。「ただの数字」と思いながらも、期待してしまうのが視聴率。そして結果、視聴率がいいからどんどん次の回を作れと局長は言う。

しかし、かつてマスコミが数字(部数や視聴率)を追うために松本良夫(片岡正二郎)をロリコンだと報じ、その過熱した報道に煽られて、警察は松本を犯人と断定したのではなかったか……ということも思い出してしまう。

「ただの数字」に翻弄され、死刑囚となってしまった人がいるかもしれない。メディアの役割を忘れ、視聴率至上主義になってしまっているテレビの現状も、俯瞰してみると恐ろしい。

数字が取れていなかったら、きっとこの特集報道はやはり当初の通り「報道不適切」とされていたかもしれないし、これからも数字が落ちれば打ち切りの可能性をはらんでいる。それを同じく数字がものをいうテレビドラマで見せられているのだからすごい。

「開かずの扉」と呼ばれる再審請求の壁

冤罪特集は2回、3回と放送。徐々に恵那と岸本拓朗(眞栄田郷敦)は真相に迫っていく。そしてそこに立ちはだかったのが、そのハードルの高さから「開かずの扉」と呼ばれる再審請求の壁だった。

再審とは、誤判により有罪の確定判決を受けた冤罪被害者を救済することを目的とする制度。劇中の恵那や弁護士である拓朗の母・陸子(筒井真理子)の説明によると、日本で再審が認められるのは年に2、3件。再審請求してから棄却の通知が来るだけで10年かかることもあるらしい。獄中で亡くなる人ももちろんいて、権力側の狙いはそれだと勘ぐってしまうほどだ。

はたして人を救うための制度として、正しく運用されているのだろうか。

冤罪は、国家による最大の人権侵害のひとつ。どうやら冤罪被害者の救済が遅々として進まないのは、事件固有の問題ではなく、現在の制度が抱える制度的・構造的な問題があるということも知っておかないといけないようだ。

テレビで特集を放送してすぐのタイミングで、松本死刑囚の再審請求が棄却されたとの知らせが恵那のもとに届いたのも、偶然とは思えない。これは「おもちゃみたいな正義感で余計なことをするんじゃない」という権力側からの牽制ではないだろうか。

目を向けるべき問題は個人ではなく社会構造にある

ジェンダーの権力構造や男性中心の性差別文化など、これまで「構造の問題」がしっかり劇中で描かれてきた。当初はセクハラなどを受け流していた恵那も、次第にどう抵抗するかを身に着けていく。

しかし、第4話では権力構造を理解しながらも、抗えない現実を見せつけられた。それも、斎藤正一(鈴木亮平)とのベッドシーンで。

このシーンは、ただの純粋な生物学的行為であるセックスも、実はあらゆる社会領域のすみずみにまで浸透している男性優位な構造の縮図なのだと思いしらされた。

斎藤が持っている圧倒的な力を前に、恵那は抱かれることで太刀打ちできないと思わされてしまう。本来ベッドの上では男女は平等であるはずなのに、そこもあきらかに男が優位性を誇示し、女に劣位性を認めさせる現場となってしまっている。

抱かれることでその権力にいっとき守られているような錯覚を覚えてしまったのは、恵那の弱さだろう。それは男性優位な社会構造をより強固にしてしまうことにつながるが、この「人の弱さ」を私たちは否定できるだろうか。

男女の性愛についてここまでの構造理解がなされたドラマ、見たことがない。作品ごとに本当にベッドシーンは必要かという議論はいるかもしれないが、本作においては避けて通れない、重要な意義があった(それにしても「この人には敵わない」と思わせる鈴木亮平の魅力がすごすぎる……)。

一方、拓朗は自分が勝ち組にいることへの疑問を口にするようになる。チーフP・村井喬一(岡部たかし)が発した「自分が何に負けてきたかちゃんと向き合え。それができない限り、お前は一生負け続けて終わるぞ」は拓朗の核心に迫る一言だった。

中学時代の友達をいじめから救うことなく裏切った拓朗。それはいじめの主犯格が有力者の息子だったからで、長いものに巻かれることで今のポジションを築いてきた。

でも、それは何にも勝っていないのと同じことだった。ただの弱者の処世術でしかないのだから。ここにも社会の権力構造が鮮やかに浮き彫りとなった。

本作を見ていると、あらゆることは個人の問題ではなく、社会構造の問題なのではないだろうかと改めて考えさせられる。個人の問題に矮小化したら、永遠に強者が勝ち、弱者が負け続ける。

その不公正な「構造」に目を向け、それを変えるためには何が必要かという視点を私たちは獲得していかなくてはいけない。『エルピス』からはそんなメッセージをびしびしと感じる。

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