『エルピス』長澤まさみ“恵那”と眞栄田郷敦“拓朗”から考える「空気」と「正しさ」の正体

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『エルピス』長澤まさみ“恵那”と眞栄田郷敦“拓朗”から考える「空気」と「正しさ」の正体

戦時中も、オリンピックも、コロナ禍も……日本では、どう考えても論理的とはいえない“空気”的な判断によって物事が決まってしまうことがよくある。11月7日に放送された『エルピス―希望、あるいは災い―』(カンテレ・フジテレビ系、毎週月曜22:00~)第3話は、その“空気”に満ちたものだった。

おかしいと思ったら空気を読んではいけない

「人の生きるところ必ず空気はあり、僕だってそれと無縁ではいられない」。岸本拓朗(眞栄田郷敦)が心の声でそう語っていたが、日本は大きな絶対的判断基準を持った「空気」という存在にずっと支配されている。昭和52年刊行の山本七平の名著「『空気』の研究」では「日本には『抗空気罪』という罪があり、これに反すると最も軽くて『村八分』刑に処せられる」と書かれていたが、私たちが生きているのはそういう国なのだ。

「日本は必ず勝つ。戦争に反対するやつは非国民だ」という空気が支配したときや、「原発は絶対安全。東京オリンピックを実現させよう」という空気が支配したときもそうだった。個人の意思、権利よりも集団の空気が優先されてしまう。そもそもなぜ私たちは空気を読む必要があるのかというと、読まないとハズレを引き、罰を受けそうだから。

拓朗が出席した披露宴は、まさに祝福するのが当然の空気に満ちていた。拓朗にはいじめを苦にして自殺した友人がいるようだが、同級生の中で墓参りにいくのはもはや少数派。披露宴に来ていたほとんどの人は友人の死のことなんか忘れ、考えず、悩まず、ただ鼻を利かせて長いものに巻かれて生活している。空気を読むのも相当うまいんだろう。そういう人はメインストリームに居続けられ、人生に勝っていくように思われている。

でも、本当にそれで勝てるのだろうか。戦争は負けたし、東京2020オリンピックは問題だらけだったけど……。そんなレガシーにはできない過去の歴史たちが頭をちらついてしまう。それに空気の醸成には常に、マスコミが大きく関与しているということも考えなくてはいけないことだ。

ではその恐ろしい「空気」に抵抗するにはどうしたらいいのだろう。そのヒントも第3話にはあった。神奈川県警の平川勉(安井順平)に会いに行った際に浅川恵那(長澤まさみ)と拓朗。当時下っ端で事件のことはあまり覚えていないという平川に、拓朗は「それでなんで松本さんが犯人だって言い切れるんですか?」と至極真っ当な返答をする。

覚えてないのに犯人で間違いないなんて普通におかしな話だと思う。最高裁で判決が出ていると言っても、その判決が間違っている可能性だってある。当たり前な指摘をする拓朗に対して、平川は「ありえない」の一点張りのまま立ち去る。この構図は巧みだった。

状況を忖度することなく、正しいと思うことを正しいと、見たままのことを見たままにいう人間を人は警戒する。この素朴な雑感は人を我に返らせ、現実を直視させ、作られた空気を変えるきっかけになってしまうからだ。ときに「水を差す」という行為は大事。「空気読めない人って強いよね、ああいうとき」という恵那の一言に、それに尽きるな……と思った。おかしな空気は、バカなふりして読まなければいいのだ。

「正しさ」が盲信して突き進むための危うい燃料に

第3話で「空気」とともにもう一つ強調された言葉が「正しさ」だった。「正義」といわれたら個人的な考えや理想が含まれ、人それぞれ異なった判断基準があるかもしれないが、本来「正しさ」は誰から見ても道理にかない、ひっくり返ることなく正確であり続けるものだ。

しかし今の時代は、その「正しさ」の意味が本来の安定した姿ではなくなってきていると思う。ネットやSNSにより、正しくて根拠が確かなニュースよりも陰謀論やフェイクニュースが数倍の速さで拡散されてしまう世界で、何が「正しい」のかがわからなくなっている人は増えているように思う。もはや「正しさ」は存在し得ず、個々の価値観の偏差があるだけになってきているのかもしれない。

だからこそ「正しいことがしたいなぁ……」という拓朗の心の声のリフレインには心を揺さぶられた。あれが口から出た台詞ではなく、心の声だったというのもポイントだと思う。人が誰もが胸の内に隠しながらも、実態を持って表現をすることがなかなかできないのが「正しいこと」だからだ。あのシーンのあと、自分は何か問題に対して見て見ぬ振りをしてしまっていないだろうか。悪いことに加担してしまってはいないだろうかと自問したくなった。

恵那が言う「だってこれ誰が悪いってマスコミだよね。ほかでもない私たちだよね」も、マスコミが正しく機能しなかったことを反省し、正しい姿へ戻したいという思いの現れのように感じた。

「これからは正しいと思うことだけをやるの」「本当にこれが正しいことなら、勝手に味方はついてくるし、道が開けていくんだよ、たぶん」という“スピリチュアルめいた威厳”も効いていた。「正しさ」が盲信して突き進むための危うい燃料になるからだ。

出来上がったVTRを見たことで若手スタッフが熱を帯びてきたのも、どこかみんな「正しさ」への憧れがあったからだと思う。それでもテレビ局内に漂うバランス重視の空気は強い。この局内における忖度や圧力の描写はかなりリアリティがある。

それに対する恵那の空気を読まない反論は、真っ当なテレビ局員一人ひとりの心の声なのかもしれない。チーププロデューサーの村井喬一(岡部たかし)はもうすでに突き動かされていそうだが、局長NGとなるところもリアルだった(こうやっていろいろなものは潰されていく)。

「正しいことをしたければ偉くなれ」というのはかつての大ヒット刑事ドラマ『踊る大捜査線』の名台詞だけど、正しいと信じることを実現したければ、実現できる立場にならなければいけないというのはよくよく考えるときつい。

だって理不尽と感じることや、納得いかないこと、絶対に違うと思いながらも上司に従わざるを得ないことなどが日常的に起きていて、それにはずっと耐え続けないといけないのだから。それが当たり前とされている会社や社会ってなんなんだろう。

その疑問は、放送不適切と判断されたVTRを「正しさに突っ走って」流してしまうという恵那の暴走につながってくる。このとんでもない展開には心がざわざわしたが、この「正しさ」由来の行動が吉と出るか凶とでるかは今後気になるところだ。それに、恵那と斎藤正一(鈴木亮平)の関係や、謎の男(永山瑛太)の正体も。

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