『エルピス』の豪華な布陣がつくる“不穏”は日本の空気そのもの?

公開: 更新:
『エルピス』の豪華な布陣がつくる“不穏”は日本の空気そのもの?

「君は自分を善人だと思っているんだろう」。長澤まさみが主演するドラマ『エルピス―希望、あるいは災い―』(カンテレ・フジテレビ系、毎週火曜22:00~)はそんな台詞で幕を開けた。善人、それは要するに取るに足らない凡人であり、物事を動かす力などあるわけもないと思われる存在のこと。そして続けて語られる言葉はこうだった。「しかし君、それは逃げだ。善人でも戦うべき時が来る」と。

脚本は、朝ドラ史上最高傑作との呼び声も高い『カーネーション』や、近年では『今ここにある危機とぼくの好感度について』を手掛けた渡辺あや。そしてプロデューサーは『大豆田とわ子と三人の元夫』や『カルテット』を担当した佐野亜裕美。演出は、長澤も出演した映画『モテキ』を担当した大根仁。音楽は『あまちゃん』や『いだてん〜東京オリムピック噺〜』を手掛けた大友良英。もうこれでもか! というほどもツワモノ揃い。最強の布陣が揃っているというハードルの高さを軽々超えてきた初回放送の出来に、震えた。

善人? 悪人? まだまだ謎が多い主要キャスト

【2018年 映画『さよなら江戸幕府』撮影現場】。番組冒頭、その文字が表れて2018年から始まる物語なのだと理解した。深夜の情報バラエティ番組『フライデーボンボン』でコーナーMCを担当する女性アナウンサー・浅川恵那(長澤)が、映画の取材現場にやってくる。

まず特筆すべきところは、ドラマ内で登場する番組のクオリティの高さ。ワイプの使い方、メインMCの男性タレントと、アシスタントの女性アナ、そしてひな壇に座った若い女性たちと、目がチカチカするようなセット。そこにあるのは既視感ありまくりの「テレビ」の光景だった。テレビ局を舞台にした本作、局の内情や裏側までもありのまま描こうとしている心意気を細部にまで感じる。

“路チュー”スキャンダルで転落した恵那は、今ではパワハラ・セクハラ・モラハラに遭っても難なく受け流し、心身の不調に見舞われながらも今ある仕事を続けている。そんな彼女に、新米ディレクターの岸本拓朗(眞栄田郷敦)が声をかけることで物語が一気に進展することとなる。それが、ある連続殺人事件の犯人とされる死刑囚が、実は冤罪かもしれないという疑惑だった。

この拓朗の行動が、決して正義感によるものではないというところがとてもリアルだ。彼はヘアメイクの大山さくら(三浦透子)に弱みを握られ、保身のために真相を追求をしようとしているだけだったのだ。

安っぽい正義感を振りかざして、独善的な考えで他人を攻撃するキャラよりも、こちらのほうが人間味があって安心する。本来人間は自分のことでしか行動を起こせないものなのかもしれない。

そしてもうひとりの主要人物が、報道部の斎藤正一(鈴木亮平)。恵那とのスキャンダルの相手であり、元恋人だ。一方は叩かれた末に地位を奪われ、深夜番組に左遷。一方は男性という立場が守ってくれて報道の出世街道まっしぐら。スキャンダルは女性側に社会的制裁が下るこの不均等さははいったいなぜなのだろう。

冤罪事件というブラックボックス

冤罪事件に関してアドバイスもくれる斎藤だが、報道を扱う側からするとそれがどんなに無理な案件かも重々知っている。警察と検察と裁判所の威信がかかっている最高裁の判決を覆すということは、国家権力を敵に回すということ。そんなこと「無理」なのだ。

また、かつて報道に携わっていた恵那も過去に冤罪事件を扱おうとしたことがあるが、上から圧を頻繁にかけられたり、よくわからない理由で表現を曲げさせられたりして、企画をずたずたにされた過去があった。この事件を扱う難しさは、蒸しかえされるとまずい人がいっぱいいるという要因もあるようだ。

第1話だけでも、いろいろな事情によって冤罪をマスメディアが扱うことは不可能だと思わされてしまう。どうやら闇はあまりに深く、闇にあるものはそれ相応の理由がありそこに存在しているらしい。

しかし、拓朗の情熱に動かされてから目に再び輝きを宿しだした恵那はもう、そういう事情はどうでもよくなっていた。おかしいものはおかしい。変な事情を飲み込むなんて、もうしたくないのだ。

これぞ、主人公が主人公たるゆえん。この覚醒を目撃できるのは視聴者の特権であり、その姿はあまりに神々しく、見ているだけでこちらも背筋が伸びる。最後、決意を新たに濁りのない透明な水を飲み込む恵那の精悍な表情は素晴らしすぎるので何度でも見返してほしい。

ドラマ内の不穏は、リアルな日本の空気感

本作は、楽しいシーンがあったと思えば急に不穏な雰囲気が立ち込める。それもあきらかに“ここから不穏が始まりますよ”ということを音楽や演出などで思い切り提示してくれているので「はっ!」と頭を切り替えて集中して観ることができる。すでにその不穏がクセになり、待ち望んでしまっている自分がいた。

官邸キャップにまで上り詰めた斎藤は政治家ともズブズブな関係なのだが、不穏なBGMのもと、“あの人”(見たらわかるはず)にとてもよく似た副総理の大門雄二(山路和弘)とのこんなやりとりが登場した。「今日は何聞かれるんだ」「ざっくり公約周りですね。それと、“森友”のことは止めていますんで」。

この、「森友」という2文字をドラマに出すだけでも制作現場では相当な闘いがあったに違いない。2018年という時代設定が、劇中カラオケシーンの「不協和音」だけでなく、こんなところにも効いているとは。みんなもぜひ2018年の日本の政治でどんなことが起きていたのかを思い出してほしい(解決していない問題ばかりが出てくるだろう)。

ほかにも大門の台詞には、5年半に渡る安定した政権は特筆すべきこととアピールするようなものも。しかし、長期政権の腐敗構造は、歴史や世界各国の情勢を見ても明らかなこと。政治家の詭弁を拡声器のごとく垂れ流すがままになっている報道番組、という様子までドラマにしてしまうのだから、本当にすごい。

これが地上波で観られるなんて……! このドラマで感じる不穏、現実社会でも知っていると気付かされた瞬間だった。

ここでふいに、ドラマ冒頭に登場した劇中映画『さよなら江戸幕府』のことが頭をよぎった。ある種の恐怖政治のような統治体制を維持することで、長く続いたと考えられる江戸幕府。その時代を教科書やドラマでしか知らない人でも、実感としてこの空気感を知っている人は多いのではないだろうか。(どうやら『さよなら江戸幕府』も今私たちが観るべき作品のような気がしている)。

そしてもうひとつ。冒頭の台詞から、キング牧師が言った「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である」という言葉を思い出していた。私が善人であるならば、すべきことはなんなのだろう。

そのことをずっと考えながら視聴し続けていきたい。

PICK UP