『初恋の悪魔』は、嫌われ者たちの讃歌だ

公開: 更新:
『初恋の悪魔』は、嫌われ者たちの讃歌だ

「なんでお前が生きちゃったんだろうな」

優秀な兄・馬淵朝陽(毎熊克哉)を亡くした悠日(仲野太賀)はずっとそんな視線を浴びて生きてきた。自分は望まれていない側の人間であること。“じゃない”方の宿命。その残酷さを知っていたからだろうか。悠日はもう1人の人格である摘木星砂(松岡茉優)に向けて言う。

「あなたがそこに居座ってるから本当の摘木さんがいなくなっちゃったんでしょ!」

普段から我慢している人ほど、追いつめられたときに爆発してしまう。両親にどんなに軽んじられても、婚約者にどれだけ蔑ろにされても、懸命につくり笑いを浮かべていた悠日から噴き出した、むき出しの本音。それは目を背けたくなるほど切実で、利己的だった。でも、言ってはいけないことをつい言わせてしまうのが恋なのだろう。

初恋の悪魔』第5話が鹿浜鈴之介(林遣都)の喪失を描いた回なら、この第7話はもう1人の主人公・悠日の喪失を描いた回だった。

光と影のように宿る「摘木星砂」という2つの人格


同じ体に宿る、2つの人格。一方が顔を出すと、もう一方は消えてしまう。その危うさと常に隣り合わせだったからだろうか。どちらの摘木星砂も忘れられることや思い出に対して、とてもセンシティブだった(以降、スカジャンの摘木星砂を摘木、もう1人の人格を星砂と表記する)。

摘木は「消えてほしいって思われてんのはこっちの私なのかもしれない」と怯え、「私のこと覚えててくれるかな?」と問うた。そんな摘木を悠日は「僕が知っている限り、あなたはいなくなりません」と抱きしめ、「覚えてなくたって、忘れるわけないじゃないですか」と誓った。

そして、鹿浜は「もしかしたらもう戻ってこれないのかもしれない」と涙する星砂に「もしまた君がいなくなることがあったら、あとは引き継ぎます。それで、少しは怖くなくなりますか」と声をかけた。

この第7話でも、似たような対比があった。自分が偽物だと自覚している星砂は「今のこれは思い出にはしないでください。これは鹿浜さんを巻き込んじゃってる思い出だから」と線を引き、「私たちには何も思い出はありません」と人の心の中に残ることを拒んだ。一方の摘木は「どうかニヤニヤ意地悪言ったり、ヘラヘラふざけてた私だけを覚えてほしい」と願い、「私には思い出がある。しかも私の思い出は私だけの思い出じゃない」と喜んだ。

いつまでも覚えていてほしい摘木と、思い出になりたくない星砂。それは光と影みたいで、だからこそ凡人代表の悠日が摘木に安らぎを覚えるのもわかるし、変人代表の鹿浜が星砂と共鳴し合うのも納得がいく。どちらが本物で、どちらが偽物でもない。どちらが正しくて、どちらが間違っているわけでもない。摘木も、星砂も、ただそこに存在する。それだけなのだ。

でも、どちらの立場に立つかで、星砂に消えてほしいと思うか、星砂に残ってほしいと思うかが変わる。そして、その選択こそがこの第7話で描かれた女子大生・桐生菜々美(あかせあかり)の姿と重なるのだ。

彼女が本当に歌いたかったのは、「天城越え」だった


鹿浜たちの考察が正しいとすれば、菜々美は恋人を殺してなどいなかった。でも、誰も彼女の無実を証明しようとはしてくれなかった。自分たちの過ちが明るみに出ることを恐れ、彼女を生贄にした。それはなぜか。菜々美が嫌われていたからだ。

「嫌われるとは恐ろしかね」

軽口のように、小鳥琉夏(柄本佑)はそうこぼした。実は、この7話のいちばんの核はこの台詞なんじゃないかと思う。人は罪状を見て罰を決めるのではない。その人が好きか嫌いかで裁きを変える。同じことをしても好感度の高い人はなんとなく許され、好感度の低い人は徹底的に叩きのめされる。僕たちの生きる現代は、そんな社会だ。嫌いな人は、いなくなっていい人なのだ。

だけど、その嫌いと思っている相手の面でさえ、その人のすべてではなく、ルービックキューブのわずか1面に過ぎない。いかにもぶりっ子っぽく見える菜々美が本当に歌いたかったのは、「わたしの一番かわいいところ」というお似合いのアイドルソングではなく、「天城越え」であり「夜桜お七」であったように。その人の本当のところなんて、周りから見ているだけではわからない。

でも人はある一面だけを見て相手の人格を決めつけ、その全部を嫌う。恋人が死んだ翌日にTikTokに動画を上げている女子大生が非常識だと疎まれるのと、とあるアパートに集う住所不定の少女たちが近隣住民の密告によって居場所を奪われるのは、根っこの部分では同じだ。

でも、少女たちのコミュニティを破壊した「頭の良くて、正しくて、近道が好きな人たち」に怒りを感じたのと同じ心で、最初に菜々美のTikTokを見たとき、生理的な嫌悪感を抱いてしまった。どの面を見るかの違いがあるだけで、結局、僕だって偏見の塊であり、「頭の良くて、正しくて、近道が好きな人たち」なのだ。

嫌われ者たちが排除されない世界があればいい


そして、そんな偏見や一方的な思い込みによって、嫌われ者たちは迫害されていく。それが、星砂だ。悠日にとっては先に出会ったのが摘木だから、好きになったのが摘木だから、星砂は摘木を奪った嫌われ者になる。いなくなっていい人になる。悠日の気持ちを責めることはできない。でも同時に理不尽だとも思う。2人の摘木星砂をめぐる物語は一体どこへ着地しようとしているのだろうか。

ただ願うことが一つある。そもそも鹿浜はずっと嫌われ者として生きてきたわけで、小鳥も会計課では浮きまくっている。悠日だってこの中ではまともな人間に見えるだけで、ずっと卑屈な道を歩かされてきた。

ならば、そんな嫌われ者たちが排除されない世界があればいいな、と思う。摘木が残るのか、星砂が残るのかなんてわからないし、選択したくもないけれど、あなたは必要ないからとか、あなたが邪魔だからとか、そんな理由で存在が消去されてしまう世界は悲しすぎる。坂元裕二が、摘木星砂の二重人格を通して描こうとしていることは、人の存在意義なんじゃないだろうか。

どんな人も、そこにいていい。たとえ誰に嫌われようと、あなたはあなたらしく生きればいい。そう一貫して謳い続ける『初恋の悪魔』は、嫌われ者たちの讃歌なのかもしれない。

(文:横川良明)

PICK UP