『初恋の悪魔』鹿浜がシャンプートントンより怖かったもの

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『初恋の悪魔』鹿浜がシャンプートントンより怖かったもの

テレビドラマに「救われた」なんて表現をしたら大げさだと思う人もいるかもしれない。でも、時に「救われた」としか言いようのない作品に出会うことがある。『初恋の悪魔』第5話は、まさにそんな回だった。

なぜ鹿浜は椿と一緒にいると優しい気持ちになれたのか

森園真澄(安田顕)によって鹿浜鈴之介(林遣都)は屋敷の地下室に閉じ込められた。この“地下室”とは、物語としてはひとつのメタファーと見ていい。例えるなら、鹿浜がずっと奥底に隠していた心の砦だ。そこで鹿浜はある夢を見る。目の前にいるのは、小学生のときの自分だ。「しかはまくんカウンセリング」と題して、担任と旧友たちがどうすれば鹿浜がクラスに馴染めるか意見を出し合っている。

なんと無邪気で、なんとグロテスクな光景だろう。日本の学校教育は、みんな同じを好む。集団からはみ出ている者を見つけたら、なんとか矯正しようとする。ただ好きなものがみんなと少し違うだけなのに、それを異常と見なす。そうやって押し潰されそうになりながら生き延びた大人たちが、この国にはたくさんいる。鹿浜以外にも、きっと。

鹿浜はずっと自分が世界にいることを許されていないと思っていた。だから、“地下室”に閉じこもった。自分の心を守るため。孤独を友達にして。

その“地下室”に初めて足を踏み入れた人がいた。それが、屋敷の主であった椿静枝(山口果林)だ。椿は「私なんかと一緒にいて面白いの?」と聞いた。その質問に鹿浜は心の中でこう思う、「あなたと一緒にいると優しい気持ちになれる」。

なぜ鹿浜は椿といると優しい気持ちになれたのか。きっと椿が鹿浜の優しさを気持ち悪がらなかったからじゃないだろうか。本来、鹿浜は優しい人だ。たとえあの場にいたのが椿でなくても助けたはず。でも、これまでの人は鹿浜が優しくすると驚き、気味悪がった。

自分の優しさは誰かを不快にさせるものだと思っていた鹿浜にとって、初めて優しさを優しさのまま受け取ってくれたのが椿だった。だから、もっと優しくしたかった。もっと優しくなりたかった。

けれど、鹿浜は再び“地下室”に閉じこもる。理由は、椿の死だ。

「人の悲しみって喜びを知ってしまったことから始まるものなんだ」

鹿浜はしきりに「僕が怖いのはシャンプートントンだけです」と強がった。でも、そうじゃないんじゃないかな。鹿浜にはシャンプートントンよりもっと怖いものがあった。それは、失うことだ。何かを手にすることは、何かを失うことの始まりでもある。鹿浜はそれが怖かった。だから、“地下室”に閉じこもった。ここにいれば何も失うものなどないというように。

世界は確かに美しくないけれど、あの夜の4人は美しかった

そんな重い“地下室”の扉をこじ開けてくれたのが、「友達」だった。鹿浜の家に駆けつけた摘木星砂(松岡茉優)は「どうでもいいことでも来るのが友達だろ」と言った。馬淵悠日(仲野太賀)や摘木、小鳥琉夏(柄本佑)が他の人と違ったのは、はたから見れば確かにちょっと不気味な鹿浜をそのまま受け入れてくれたことだ。凶悪犯罪とハサミが好きな鹿浜にドン引きしつつも、無理に変えようとはしなかった。そんな人がいてくれるだけで、人生はずっとあたたかいものになる。

そして、馬淵たちによって鹿浜は椿の正体を知る。娘と孫を失い、社会を恨むことでしか自分を保てなかった椿は、鹿浜と過ごしたことで復讐心を捨てられるようになった。

「世の中は美しいものではないけれど、自分自身を醜くしてはいけないよ」
「人はどんな一生を送ろうとも後悔する必要はない」

どれも深く胸に沁みる言葉で、椿がそんなふうに優しさを取り戻せたのは、鹿浜の優しさにふれたからだ。

「あなたに助けられました。ありがとう、鈴之介くん」

鹿浜を「この世界にいてもいい」と思わせてくれたのは、この世界を誰より憎んでいる人だった。鹿浜は、椿が犯罪者であると知っても、喜びも幸福感も示さなかった。あんなに凶悪犯罪が好きだったのに、椿が屋敷の地下室に人を監禁するような狂気を宿した人物であると知っても、その事実より椿の悲しみに寄り添っていた。椿が、鹿浜にとって初めての「友達」だからだ。

そして、その「友達」が連れてきたのが、新しい「友達」だ。小鳥が冗談半分でカラオケに誘うと、鹿浜は「いいよ」と答えた。1話から小鳥が「ごめん」と謝ると、鹿浜は即座に「いいね」と返事をしていた。そのお決まりのやりとりが、またここで繰り返される。絆なんて美しいものじゃないかもしれない。でも、そこにはこの2人にしか分かち合えないものがあって。そうやって、人と人は結ばれていくんじゃないだろうか。

ハイトーンボイスの『CHE.R.RY』は調子っぱずれで、「このサビをスルーできる人間はこの世に存在しない」はごもっともで。鹿浜は『CHE.R.RY』が流行していた頃から、街角やテレビで流れるたびに、1人で歌い上げていたのだろう。でも、今日は1人じゃない。一緒に歌ってくれる「友達」がいる。そのことがうれしくて、いとしくて、しょうがない。世界は確かに美しくないけれど、夜の街を並んで歩く4人の姿は美しいと言っていいんじゃないだろうか。

そして、失うことを恐れる鹿浜が、もうこれ以上何も失うことはありませんようにと、いるのかわからない神様に祈った。

自分らしくいれば、いつか未来の自分が褒めてくれる

テレビドラマが人を救えるのかはわからない。

もうすぐ夏休みが終わる。また学校が始まることに絶望している子どもたちはどこかにいる。鹿浜のように、教室でうまくやれない子どもたちも、きっと。そんな子どもたちがこの第5話を観たら何か変わるだろうか。いや、でもそうやって押しつけるのも、結局「しかはまくんカウンセリング」と同じ気がする。人は、必要なときに、必要なものと出会う。鹿浜が、椿や馬淵たちと「友達」になれたみたいに。

でももしもよかったら、この言葉だけは覚えていてほしい。忘れてもいい。ただ、自分という尊厳を他者から剥奪されそうになったとき、思い出してほしい。

「大丈夫。自分らしくいれば、いつか未来の自分が褒めてくれる。『僕を守ってくれてありがとう』って」

僕たちは、いつでも、どこでも、自分らしく生きていいのだ。

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