なぜ『オールドルーキー』は人々の胸を熱くするのか。その普遍性に宿る2つの魅力

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なぜ『オールドルーキー』は人々の胸を熱くするのか。その普遍性に宿る2つの魅力

よくアスリートに対して「夢をありがとう」という言葉が用いられる。確かに夢を追う人の背中は胸を打つ。でも同じくらい夢に終わりを告げた人の横顔にも心を動かされる。

日曜劇場『オールドルーキー』(TBS系、毎週日曜21:00~)は前半戦である第1話から第4話を通じて、人が夢をあきらめる瞬間を描いてきた。

これは、花道を用意されなかった人たちの物語

主人公は、プロサッカー選手の新町亮太郎(綾野剛)。日本代表として試合に出場した経験を持ちながらも、所属チームが解散となったことから、突如現役引退に追い込まれる。会社員としてのスキルはゼロ。あるのは、サッカーの経験だけ。そんな37歳に再就職の道は険しい。どん底の新町を拾ってくれたのは、スポーツマネージメント会社・ビクトリー。新町は、アスリートを支える裏方として第二の人生を歩み出す。

スポーツマネージメントという業種は決してメジャーとは言いがたい。また、アスリートの光と影も一般層からすると自分ごととして捉えにくい。それでも、この『オールドルーキー』という作品は多くの人の琴線にふれるものがある。それはなぜか。

ひとつは、本作が夢やぶれた人の物語だからだ。ビクトリーに就職した新町だが、そう簡単に気持ちは切り替えられない。ふとしたときにピッチの上を全力疾走していた“黄金期”を思い出し、もう一度あの場に立てたらと万に一つの可能性にすがる。その未練がましさは、まるで潔くはない。でも人間らしくて共感が持てる。

僕たちの人生だってそうだろう。大抵の人たちが、なりたいものになれなかった人生だ。夢叶えたように見える人たちもまた上には上がいて、不安や焦燥と闘い続けている。だから、夢をあきらめきれずにもがく新町の肩を抱いてあげたくなる。いつかの自分と重ね合わせてしまう。

7月24日に放送された第4話で、その未練との決着がついに描かれた。最後の望みを懸けて、新町は加入テストを受ける。しかし、結果は不合格。その描写はなんともあっさりしたものだった。でもそれがリアルだった。どんなに強く焦がれても、届かないものは届かない。新町はもう当落線上にさえいなかったのだ。

むしろそこより時間をさいて描かれたのが、どうやってあきらめるかだった。夢の方からは残酷に見切りをつけられた。では、その夢にどう笑って手を振るか。新町のために妻の果奈子(榮倉奈々)が用意したのは、引退試合だった。大好きなピッチの上で、最後は燃え尽きてほしい。あきらめるために必要なのは、燃え尽きることだった。

個人的な話で恐縮だけど、営業マン時代に勤めていた会社では、“やり切る”がひとつのテーマだった。たとえ失注してもいい。最後までやり切れたか。顧客と本気で向き合い、ベストを尽くせたか。そこを常に問われた。やり切ることができれば、たとえ結果が失注でも、その経験は糧になる。でもやり切れなければ、「時期が悪かった」「景気が悪かった」といろいろな言い訳を用意する。

僕たちは日本を代表するアスリートでもなんでもないけれど、そんな僕たちの毎日にも、夢と呼ぶには少しささやかな、でも当人にとっては切実なやりたいことや懸けたいことがあって。そのすべてが叶うわけじゃない。けれど、叶わなかったとしても、新町のように「未練はありません」と言い切れるまで燃え尽きることができたなら、次へ向かえる。『オールドルーキー』は、花道を用意されない凡人たちが、自ら花道を切り開くために必要なことを教えてくれるドラマだ。

“黄金期”が終わってからの人生をどう生きていくか

そしてもうひとつ、『オールドルーキー』の普遍性の理由を挙げるとするなら、夢やぶれたその後を描いていくドラマだからだろう。誰にだって“黄金期”はある。未来は無限だと思えた10代。気力と体力に満ちあふれた20代。経験を武器に変えられた30代。いつを“黄金期”とするかは人それぞれ。でも、多くの人にとって“黄金期”が終わってからの人生の方がずっと長い。

そのときにいちばんなりたくないのは、「あの頃は良かった」と過去の栄光を忘れられない大人だ。「俺の若い頃は……」と武勇伝を語る大人だ。そうならないために、どう生きればいいのか。『オールドルーキー』がその答えを描いてくれる気がする。

ずっと表方だった新町は、当初裏方の自分に対してやや戸惑いがあった。第一線で輝く後輩の矢崎十志也(横浜流星)に気後れしているような一面を見せた。でも、足元に転がってきたボールを自分が蹴るのではなく、矢崎に託すようにスローインしたように、次世代に夢を託し、それを支える役割もまた尊い。決してそれは主役を退いたということではない。持ち場が変わっただけ。表であっても裏であっても、自分の人生の主役は、いつだって自分なのだ。

現役への未練を断ち切った新町は、ここからさらにスポーツマネージメントの面白さにのめり込んでいくだろう。そこには、まだ自分でも知らない自分の新たな可能性も眠っているかもしれない。そしていつかピッチに立っているときと同じくらい胸がワクワクして、汗をいっぱい流して、生きていると感じられる瞬間に出会えるのかもしれない。

“黄金期”のあとも人生は続く。そして、“黄金期”は何度だって来る。次なるチャプターをまた“黄金期”にできるかは自分次第。そう予感させてくれるから『オールドルーキー』は面白い。

迷いながらも懸命に突き進む新町亮太郎のセカンドキャリアは、同じように転びながらもまた立ち上がって生きていく人たちの“夢”となるはずだ。

(文:横川良明)

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